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Interview
17/08/27

韓国と日本の音楽シーンを繋ぐYonYon。躍進を続ける彼女の葛藤とは|Music DNA #001

韓国のソウル生まれ東京育ちというバックグランドを持つYonYon。DJ、プロモーター、トラックメーカー、シンガーソングライターというマルチな活動が評価され、音楽シーンから注目を集めている彼女。現在は、ライターやラジオパーソナリティの他、海外アーティストを日本や韓国に繋げるためのブッキングエージェント「BRIDGE」のプロモーターとしての活動を本格化している。各国のカルチャーの架け橋となっている彼女の胸中を聞いてみました。

DJ・プロモーター・トラックメーカー・ボーカリスト。マルチに活躍する彼女の原点

ーYonYonさんは、BRIDGE主催の「HW&W JAPAN TOUR」や「UNDERWAVE」をオーガナイズされていますが、そもそもイベントをやりはじめたきっかけは何だったんでしょうか?

大学の入学式を自分たちで企画したのがきっかけです。私たちは東日本大震災が発生した2011年に入学したんですけど、当時世の中全体が自粛モードに入っていて、私の大学では入学式がキャンセルになりました。

新しいキャンパスライフが始まろうとしている私たちにとって、入学式は一大イベント。それがなくなってしまうのは悲しいと感じたんです。mixiの掲示板で同様の書き込みがたくさんあったので、「だったら、自分たちでやればいいじゃないか」と思い、イベントを企画しました。

ーすごい行動力ですね。反響はありましたか?

渋谷のATOMに600人ものお客さんがきて、フロアに人が入りきらないほど大盛況でした。当時の入学生は合計3000人いたので、5人に1人は来てくれていたことになります。その後、エントランスの売り上げから箱代と経費をさし引いて、震災復興のために寄付しました。

初めてのイベントオーガナイズだったのですが、小さい頃から何かを企画したり、「やろうぜ!」っていって人を巻き込んだりするのが好きだったので、みんなが喜んでくれて良かったです。

ーDJを始めたのはいつからですか?

大学に入ってからです。DJサークルに入っていましたが、実際に現場に出るようになったのは、アルバイト先でDJの方に出会ったことがきっかけです。

当時、渋谷のスペイン坂にあったアパレルショップで働いていました。店内にはDJブースがあって、ばんばん現場に出てるようなイケてるDJさんが回してたんです。思わず、「私もやってみたいです」といったら、「現場に出てみなよ」っていわれて、自動車メーカーのFIATが運営していた青山のクラブで回すことになりました。

初めての現場だったのですが、お客さんとしてきていたイベンターの方に「センスいいじゃん!」って褒めていただいて、2回目は渋谷のWOMBでプレイさせてもらえたんです。

ー当時はどんなプレイスタイルでしたか?

DJを始めてしばらくは、ディープハウス、テックハウスをかけてましたね。Beatportのランキングを一通り聴いて、気になったアーティストが所属してるレーベルをチェックして、さらにそのレーベルから出ている曲をすべて聴いていました。

現在は、ヒップホップやビートミュージックをメインにジャンルを移行したのですが、理由があって。2014年の2月から半年間、休学して韓国にいっていたんです。大学4年生の春で、周りのみんなは就活していたのですが、私は今すぐ就活することに意味を見いだせなくて。みんなが真っ黒なスーツを着て、真っ黒に髪を染めている姿を毎日見るより、違うところにいった方がいいと思ったんです。

当然、稼がないと生活できないので、韓国でDJできる場所を探しました。でも、どこもヒップホップがかかっていて、自分のプレイができる場所がなかったんです。当時は、ラッパーのKeith ApeやOkasianが一気に出てきた年で、韓国の音楽シーンがガラッと変わっていましたね。

「私もヒップホップやってみようかな」。そんな風に考えていた時に、ソウルのCakeshopというクラブで、TOKiMONSTAというアーティストの生ライブを観たのですが、それがすごくかっこよかったので、たくさん刺激を受けました。

当時は、SoundCloudで好きなアーティストをチェックして、そのアーティストがライクしてる曲を全部聴いていく。そういう掘り方をしていましたね。

ー音楽の掘り方がストイックですね。日本に帰ってきてからも、ずっとDJを?

実はしばらくDJしてなかったんです。日本に帰ってきてからは、バンド(KOTOBA SELECT)活動が本格化したんですよね。

韓国にいる間、DJと並行してトラックメイクをしていて、曲をコトバセレクト名義(当時はカタカナ)でオーディションに出したら、決勝まで進めることができたんです。バンドに活気が出てきたので、それから1年くらい個人のDJ活動は休んでバンドのアルバム制作などをしていました。2016年の12月にバンドの活動を休止し、現在はDJとしての活動をメインに動いています。

イベントを開催するまでのプロセスに価値がある

ープロモーターとしての活動が本格化したのは、何かきっかけがあるんですか?

2016年3月に渋谷VISIONの方から、「韓国のアーティストを呼びたいから手伝ってほしい」と依頼を受けて、BRIDGEという名前でVISIONのDEEP SPACEをオーガナイズしたのがきっかけです。

それまで、韓国のクラブに日本のアーティストをブッキングしたりしていましたが、シーンを盛り上げようという思いでボランティアでやっていました。しかし、私の名前が出るわけでもなく、ギャラが出るわけでもありません。DJとバンドの活動がある中で、たくさんの時間をとられてしまうので、正直、悩んでいました。でも、VISIONの方からお話をいただいたときに 、一つのプロジェクトとして「形にしよう」って思ったんです。

その後は中目黒solfaから、「女の子を集めたイベントをやりたい」というお誘いがあって、Bae Tokyoを始めました。もともとアトランタ発のフィーメールアーティストオンリーのイベントでしたが、ブランドのアジア展開を1年半ほど担当しました。現在は運営チームに引き継いでいて、私は卒業しています。

ー実際にオーガナイズしてみて、どうでしたか?

BRIDGEを通して初めて海外アーティストをブッキングしたのですが、フライトや宿泊先の手配など、あらゆることを自分でやりつつ、決められた予算に合わせてギャラの調整などをしなければならなかったので、当時は大変でした。

特に、大きな事務所に所属しているメジャーなアーティストは、契約書が英語かつ内容が細かいので、気をつけなければならない点が多かったですね。箱側と事務所側で許せることと許せないことが異なっていたり、万が一のための保険に入ったり、両者の間に入って色々な調整をする必要がありました。

ーかなりのエネルギーが要ることだと思うのですが、何が原動力だったのでしょうか。

なんでだろう。やはり、好きだからじゃないですかね。正直、イベント当日の人がいっぱい入ってる様子は、そんなに興味がないんです。入るときは入るし、入らないことだってあるし。

何より、イベント当日までのプロセスが楽しいんです。アーティストに出演してもらうためにサポートしたっていう事実が気持ちいいというか。歴史を残すじゃないですけど、シーンに貢献することにやりがいを感じるというか。アーティストや箱の方々から「ヨンちゃんありがとう」と声をかけてもらえるのも嬉しいですね。

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Photo by Etoo

PLAYLIST

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スギタヨウヘイ
Writer: スギタヨウヘイ
1990年生まれのライター/文章を書いたり、写真を撮ったりしています。
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