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“自分自身であれ”ピュアな感情から生まれたパンクに愛を込めて|映画『ディナー・イン・アメリカ』監督アダム・レーマイヤー Interview

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文: yzw  編:Mao Ohya 

アナーキック・ラブストーリー映画『ディナー・イン・アメリカ』の監督を務めたアダム・レーマイヤーへインタビューを遂行。臆病な少女パティと警察に追われるパンクバンドのリーダー、サイモンが出会うべくして出会い、社会の差別や偏見と戦う本作。自身の人生経験を交えてもらいながら、作品の構想やキャラクターの人物像を中心に話を訊いた。

素晴らしいダンスを踊っているかのようーー

ベン・スティラーがプロデュースしたアダム・レーマイヤー監督作、映画『ディナー・イン・アメリカ』はパンク精神を反映し、観たものに「このままでいいのか」と問いかけるアナーキック・ラブストーリーだ。

物語の中心は臆病な少女パティと、警察に追われるパンクバンドの覆面リーダー、サイモン。家族や周囲から変人扱い、社会不適合者、厄介者と蔑まれる二人は、ある日突然に出会うべくして出会い、社会の差別や偏見と戦い始める。本作にはもちろん攻撃的なシーンがいくつもあるが、人生で一番美しい瞬間とも捉えられる二人の絆に、間違いなく心を動かされるはずだ。

私達にパンク・ロックのトーチを渡す本作は、制作までに長い年月を経たという。今回、インタビューではアダム・レーマイヤー監督に、自身の人生経験を交えてもらいながら、本作の構想やキャラクターの人物像を中心に話しを伺った。

※ネタバレを含む箇所があります。

『ディナー・イン・アメリカ』ストーリー

孤独な少女が家に匿ったのは、覆面バンドの推しメンだった…!?

パティは孤独で臆病な少女。過保護に育てられ、したいこともできず、単調な毎日を送っている。唯一、平凡な人生から逃避できる瞬間、それはパンクロックを聴くこと。そんな彼女が、ひょんなことから警察に追われる不審な男・サイモンを家に匿ったものの、実はその男こそが彼女の愛するパンクバンド“サイオプス”の心の恋人、覆面リーダーのジョン Q だった…。

家族や周囲から変人扱い、社会不適合者、厄介者と蔑まれる、出逢うはずのない二人が、心惹かれ合い社会の偏見をぶっ飛ばしてゆく究極のアナーキック・ラブストーリーが誕生した!

INTERVIEW:アダム・レーマイヤー『ディナー・イン・アメリカ』

ー本作の舞台は1990年代と思われますが、監督にとって90年代はどういう時代でしょうか?

まず映画の中の台詞で「馬鹿みたいにケータイの前で演奏すんのか?」という部分があるように、映画の時代設定が現代なのかと思わせる部分もあります。でも、実際は公衆電話を使っていたり、スクリーンには一切ケータイは映らない。そういう世界観を意図的に作りました。一つは登場人物がケータイを持っている画が嫌いだからというのもあります。なぜなら、映画に登場するキャラクターにフォーカスして欲しいから。また、この作品の世界観で意識したのは、デトロイトの壊れた中産階級っぽさです。実際、あの街はある時期にものすごく荒廃し、20年間というスパンで200万人が出ていった。そういうこともあって、90年代からあまり変わっていないのです。本作では、その街の色味や、雰囲気を切り取りました。批判的に描いているわけではありませんが、ある種の観察であることは否めないし、それを皮肉めいた形で描いていることも確かですね。

ータイトルにもある通り、家族との食事シーンが多く出てきますね。家族の形は違えど世間体や偏見に溢れ、子供を自分たちの枠に押さえつける態度が、パティの家もサイモンの家も同じように見えました。食事のシーンを通してどんなことを伝えたいと思って撮影しましたか?

実は、今まで何かテーマを用いて映画を作ったことが無かったので、これが初めてのことです。そもそも当初の『ディナー・イン・アメリカ』の企画は、もっと皮肉屋で攻撃的なパティとその家族を描いた話でした。その後、別企画でサイモンを主役に脚本を書いていたものを、ふと合体させてみたらと思い付き、本作の形になりました。結果的にはサイモンがハイジャックしたような形ですね。

食事のシーンについて言えば、アメリカ人の食卓の僕なりの観察です。例えば、イタリア系アメリカ人が食卓を囲み、三時間ほどワイワイがやがや皆で楽しみ、色々な土産話をし合う、ああいった情景が僕は大好きです。本作では食事シーンは句読点のように映画の中に散りばめられていますが、それぞれの食卓にそれぞれの特徴があり、アメリカ中西部の様々な部分をお見せしているつもりです。最初に登場する一家の食卓は日曜の夜にしてはちょっと大袈裟な、感謝祭じゃないのに感謝祭みたいな食卓だったり、ものすごく手が込んでいる食卓だったり。例えばパティの家は、サイモンの家とはまた違っていて、いかにも典型的な中西部のキャセロール料理。一つのポイントとしては、サイモンが獄中で食べる食事ですね。「ムショはアメリカで唯一まともな晩飯が出る」と彼は言いますが、あれもまた一つのアメリカを表現しているつもりです。お金を仕送りしてもらうことで、他の囚人とは違う食事ができる。そこはまさにアメリカ的というか、お金でどうにでもなるんだというアメリカを表現しているつもりなのです。

The Jesus Lizard(ジーザス・リザード)のDavid Yowが如何にもお金を稼いでそうなやり手マネージャーとして出演しているのが面白いですね。キャスティングについての経緯を教えてください。というのも、彼も元々はインディー界で活躍していて〈Touch and Go Records〉からアルバムを何枚も出していますよね。その後メジャーに進出して色々とあったようですが、そういった経緯も念頭にあったのでしょうか?

いや、マネージャー役に誰とは考えてはいませんでした。楽しい人をカメオ的にキャスティングしたいとは思っていて。元から僕は彼の音楽のファンで、ずっと聴いてきました。けど、ある時『この世に私の居場所なんてない』(17)に出演している彼を見て、これはイケると思ったのがキッカケです。自分の憧れの存在をキャスティングすることが出来て、ものすごくエキサイティングな体験になりました。ステージで放たれる彼の存在感は本当に凄いので、僕としては大ごとだったんですよ。とてもラッキーでした。

ー主人公のサイモンという名前についてですが、Sid Viciousの本名がJohn Simon Ritchieですよね。シドとナンシーの関係についても念頭に置いて執筆されたのでしょうか?

ノー。『シド・アンド・ナンシー』(86)とか『レポマン』(84)とか、皆さん色々と言うけど。パンクやファッションの要素が入ってくるので、それはもう避けられないとは思うのですが、違いますね。あと、カイルがサイモンの役作りで参考にしていたのは、Henry Rollinsの若い頃でしたね。インタビュー映像などをよく観ていました。あと、例えば衣装で意図したのは、サイモンはあまり大袈裟にはしたく無かったということ。いかにもリュック一つで生活しているような、毎日バックパッカーをやっている感じを意識しました。我ながら結構な信憑性が出たと思っていますよ。衣装デザインを手掛けてくれた二人は本当に素晴らしい仕事をしてくれました。それにパティの衣装も素晴らしかったですね。青空に抜ける星条旗のシャツ姿!というわけで、誰かをモデルにしているというより、僕自身が育ったアメリカ中西部に対するリアクションと解釈してくれると良いのかなと思います。

ーサイモンのキャラクターはヒーロー的な存在ではなく、身近な友人のように感じました。監督にとって、サイモンはどんな人物でしょうか?

サイモンは僕の一部でもあるし、パティもまた僕の一部でもあります。サイモンのどこが好きかっていうと、音楽に対してものすごくピュアなところ。自分には出来なかったけれど、そんな風にしたかったという憧れにも似た想いを託している人物かもしれませんね。僕はサイモンほど失礼じゃないし、あんなに攻撃的じゃないけど。まあ、自分の考えは単刀直入に言うタイプではありますが。ただ、人は誰しもサイモンのように、あんなふうに振る舞ってみたいという願望はあるんじゃないかと思います。人を挑発したり、攻撃してみたり。とはいえ人生はそんなに長くもないので、お互いのポテンシャルを最大限引き出せるようなサイモンとパティのペアは、素晴らしいダンスを踊っているかのようで、見ていて気持ちが良いですね。

ーサイモンとパティの姿は、自分がどうありたいかを私たちに改めて提示し、それを探し出すヒントを与えてくれているように思いました。自分の在り方を見つけるために、監督が心掛けていることがあれば教えてください。

これは僕が個人的に信じていることなんですけど、自分の感覚をオープンにしていると色々なものが上手く降ってきて、きちんと整理されるように思います。


ー劇中ではMac DeMarcoの「My Kind of Women」など、様々な楽曲が使用されていますが、監督の人生を構成する音楽を数曲上げてもらえますか? 

僕にとってその問いは、量子物理学の数式を解けって言われるくらい無理な質問ですね。どちらかというと僕は色々な曲を聴くというよりは一曲を200回も300回も聴き倒す感じです。そうやって聞き込んでいくと、音と音の空間が認識できるようになるんです。そういうところに面白さを感じます。飛び込んで学ぶことで色々と見えてくることがあり、そういう楽曲の聞き方をすると結構楽しいんですよね。

ー監督は本作を「パンクのトーチを手渡す作品」と表現していますが、監督自身は誰か特別な人からトーチを手渡された実感やエピソードなどはありますか?

僕が育ったネブラスカ州は非常に音楽コミュニティが発達していて、お互いを上手く支え合っているようなところでした。そこにいるミュージシャンも、機材や時間やエネルギーを惜しみなく費やしてくれて、とても寛大で。そういうコミュニティで、僕も一音楽家として育てられたと思っています。ショウで演奏したり、セッションしたり、お互いが切磋琢磨しながら育つことが出来る。そういうコミュニティにどっぷり浸かっていたのが、映画の中のサイモンやパティの年頃のことでしたね。

だから、この映画はそういうことの素晴らしさを讃えている作品でもあるんです。それがどれだけ感動的なのかということはレコーディングをしたことの無い人には分からないと思う。だから、他人と楽曲を作ってレコーディングするってこういうことなんだよ、というのをあのシーンで見せたつもりです。キャストから出てくる様々な要素を混じり合わせて、みんなで美しいダンスを踊っているような感覚で作り上げていきました。この映画の中で一番自分でも誇りに思える瞬間で、僕に影響を与えてくれた音楽シーンに対するリアクションであり、リスペクトを捧げているつもりです。

映画『ディナー・イン・アメリカ 』予告編

映画『ディナー・イン・アメリカ』

監督・脚本・編集:アダム・レーマイヤー 

プロデューサー:ベン・スティラー、ニッキー・ウェインストック、ロス・プットマン 

エグゼクティブプロデューサー:ステファン・ブラウム、ショーン・オグレー 

音楽:ジョン・スウィハート 

撮影:ジャン・ピエール・ベルニエ

出演:カイル・ガルナー、エミリー・スケッグス、グリフィン・グラック、パット・ヒーリー、メアリー・リン・ライスカブ、リー・トンプソン

2020年/アメリカ/英語/106分/カラー/5.1ch/シネマスコープ/

原題:Dinner in America/字幕翻訳:本庄 由香里
配給:ハーク
配給協力:EACH TIME

(C)2020 Dinner in America, LLC. All Rights Reserved

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撮影監督、編集、ドキュメンタリーカメラマンとして 10 年間ハリウッドで下積み時代を経て、衝撃的なデビュー作『バニーゲーム』(10)で監督・脚本デビューを果たした。過激な内容で物議を醸し、PollyGrind 映画祭で撮影賞、編集賞などを受賞し、40 以上の映画祭で上映され話題となった。現在デイヴィッド・ランカスターのランブル・フィルムズと共に「HEARTLAND」というミニシリーズを企画しており、それ以外にも「Elegy for an American Dream」というドキュメンタリーに取り掛かっている。
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