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アカペラグループJARNZΩのリードボーカル&コーラス・SEIYAΩが、2022年8月にグループを脱退し、「小林聖矢」としてソロ活動をスタートした。<青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ2008春>の全国優勝、北海道からの上京、国内外での活躍ーー約17年にわたり活動したグループを離れ、心機一転ソロで歩み始めた聖矢。JARNZΩ在籍時から弾き語りカバー動画の投稿やストリートライブ、毎日のSNS配信を行うなど個人での発信は多かったが、ソロ活動を決意する契機となったのはコロナ渦だという。
JARNZΩ脱退後の2022年8月7日には、ソロ名義で初となる楽曲「さよならの瞬間」を発表。同月11日には神奈川県・溝の口劇場にてワンマンライブ<RIBBON>を開催し、9月にサポーターズクラブ「ribbon」を開設するなど、精力的に活動している。
今回のインタビューでは「ルーツを辿るプレイリスト」を作成してもらい、ソロ活動に至るまでの小林聖矢の音楽人生について迫る。また、闘病の経験をもとに歌詞を書き上げたという「さよならの瞬間」に込めた想いや、サポーターズクラブ「ribbon」開設の経緯、今後の展望など、ソロ活動に対する決意を語ってもらった。
ープレイリストの1曲目と2曲目は、地元の大先輩ですね。
小学4年生くらいの頃に「誘惑」を歌うGLAYさんをテレビで見て衝撃を受け、自分も歌いたいという気持ちが芽生えたんです。もちろん、歌詞の意味はわかっていなかったから、セクシーな歌だってことはその何年後かに知るんですが(笑)。
ー子どもの頃に聴いた曲はそういうものですよね(笑)。そこからどうやって歌を始めたんですか?
そこからは、家に両親が趣味で弾いていたアコースティックギターがあったので、父の勧めもあって、歌うためのギターを練習し始めました。それが小学5年生くらい。「彼女の“Modern…”」は、僕が生まれて初めてギターソロに挑戦した思い出の曲でもあります。
ーゆずや19も、アコースティックギターの流れですね。
当時音楽雑誌の後ろのほうに載っていたコードとかタブ譜を探っていたら、ゆずさんの曲に辿り着いたんです。親戚のおじさんがたまたま『ゆず一家』というアルバムを聴いていて、そこに入っていた「雨と泪」がかっこいい!と思い、繰り返し聴いてました。19は、聴いている自分がちょっとおしゃれに思えたというか(笑)。アルバム『音楽』が大好きで、親にねだって(弾き語りの)全曲集を買ってもらい、ボロボロになるまで弾いてました。
ーB’z「Seventh Heaven」と「めざせポケモンマスター」は?
GLAYさんの他に、ロックサウンドで影響を受けたのがB’zさんなんです。初めて行ったライブはSPEEDさんなんですが、熱狂的に好きだった母親に連れて行かれたB’zさんのライブで聴いたこの曲に痺れて。「めざせポケモンマスター」は、初めて弟と二人でお金を出しあって買ったCDです。
ー洋楽はThe Beatles(ザ・ビートルズ)とOasis(オアシス)です。
ちょうど中学に上がった頃、いろんなアーティストのルーツを辿っていたらすぐビートルズさんに辿り着きました。コード進行も不思議だし、何言ってるかもわからなかったけど、「ビートルズの曲を知っている自分」でいたくて聴いてました(笑)。
オアシスは地元の北海道から東京に出てきた2011年頃、業界の方に連れて行ってもらったバーでレコードを聴かせてもらったのがきっかけ。「うわ、かっこよ!」と思い、そこから好きになりました。
ーflumpoolとコブクロは、聖矢さんの兄貴分的な存在でもありますね。
そうなんです。東京に来た年にflumpoolのみなさんとお会いして、ボーカルの山村隆太さんには今でも公私共にお世話になっています。実は僕、3〜4年前に病気をして。放っておいたら翌年あたり死んでしまうかもということで手術をしたんですが、そのときに山村さんは病院を紹介してくださったり、退院後に発声障害になったときもいろいろと教えてくださって、命も音楽人生も助けてもらったんです。一生足を向けては寝られない。
flumpoolの「花になれ」は、今でもボイストレーニングで最初に歌う曲。その日の声の調子を見る、大切な僕の基盤の曲になっています。コブクロの小渕(健太郎)さんは、5〜6年前にUVERworldのTAKUYA∞さんの影響で毎日10km走っていたら「一緒に大阪マラソン走らない?」って声をかけてくださって。一緒にご飯に行くと、いつも愛について語ってくれます。どちらも、自分が音楽を続ける理由になっている大切な方々。自分の人生のルーツとして入れさせていただきました。
ーJARNZΩ在籍中から弾き語りを始めていますが、その経緯を聞かせてください。
僕自身、そもそもアコースティックな音色とか、アコギの音色に自分の声が乗るということが根付いていたので、自分一人で音楽を発信するならアコギを持ってみようと思い、ストリートや配信でのライブを始めました。アカペラグループにいると、一つの楽曲を一人の歌声で完結させることってなかったんですね。でも自分の歌声だけ、自分の鳴らしている音だけで曲を完結させるっていうことの難しさと魅力、その両方に気づくことができたんです。
ーそういった個人の活動も続けていた中で、約17年の活動を経て今年8月にJARNZΩを脱退。どんないきさつがあったのでしょうか。
メンバーが1人脱退し、今一度グループを立て直そうと思ったときにコロナ禍になって、それぞれのやりたいことをやってみて、それでまた集まったときにグループへの意欲が高ければまたやろうってなったんですね。そんな中、グループの方針というか、進め方を巡って意見が分かれて。音楽を続けるために、自分の音楽への情熱が高くあり続けられそうなほうを選ぼうと思って、メンバーに脱退の相談をしました。
ー脱退する前からストリートでライブをやったりしていたのは、少しでも自分の声を届けたかったからですか?
そうですね。専門学校を卒業してそのままプロになったので、社会に出たことがないし、バイトも札幌でライブの合間にちょこちょこやっていたくらいだったので、自分の中では音楽しかないんですよ。だから、自分の音楽を止めるのが怖かったんです。ファンが減ってしまうんじゃないかとか、自分の音楽はこれで終わりなのか?と思うと怖くて。なんとか歌える方法をと思って持ってる武器を探したら、それがアコギだったんです。自分のルーツでもあるし「俺、これしかないな」って。
ーちなみに、ずっとお母さんのアコギを使ってたそうですね。
家にはギターが2本あって、弟は父親の、僕は母親のギターを借りていたんですが、移動中にヘッドにヒビが入っちゃったんです。それで、せっかくだからと思ってコロナ禍に自分のギターを買ったんです。自分のギターとなるとすごくいい音に感じるし、みるみる音が良くなっていく感じがするんですよね。
ー自分のギターが手に入ると、曲作りやパフォーマンスなどの面で気持ちのスイッチの入り方が変わったりしたのでは?
全然違いますね。僕一人でスタートするならやっぱり地に足をつけてと思い、アコギとスピーカーを持って、一人で東名阪のストリートライブをやったりしました。そのときに、アコギが味方になってくれている感じがしたんです。こいつがいたら、なんか大丈夫だって。自分の音楽をすごく助けてもらっています。グループでやる楽しさもありましたが、一人になって自分がアコギを持っているのは、導かれているように思います。
ーそのギターと共に、ソロ活動が始まったんですね。
専門学校やグループ活動を経て今ここに辿り着いたのは、何か意味があるんだなと思います。グループにいた頃、事務所に移籍してたまたま人間ドックを受けさせてもらったら胃がんが見つかったんです。音楽をやっていたから病気が見つかったわけだから、一生音楽に恩返しをしたいなと思っているんですよね。それこそ死ぬまで。ファンがゼロになったらやめますけど、最後の一人になるまでは、おじいちゃんになっても歌おうと思っています。
ーそういう姿勢に共感された方が、9月にスタートしたサポーターズクラブ「ribbon」にも参加されているんじゃないかなと思います。SNSも盛んでファンと繋がる手段がたくさんある中、あえてファンクラブという形を選択した理由を聞かせてください。
TwitterやInstagramって、もう生活の一部みたいになっているじゃないですか。当時はもっと本音をつぶやける場所だったと思うんですが、今はSNSでもよそ行きの顔を作らなきゃいけない空気が充満している気がしているんです。何を発信するにしても2〜3歩下がったところで発信をしないと、誰かを傷つけたり、嫌な思いにさせてしまう。だから好きな人に「好き」って言えたり、僕のことを好きな人が周りの目を気にせず「好き」って言える環境を作りたいと思ったんです。
(サポーターズクラブは)両思いっていう気持ちが確約されている場所だから、お互いに「好き」ってはっきり言えるし、「愛してる」って言える。SNSが飽和している状況だからこそ、こういう場所が大事かなって思ったんですよね。
ー初のワンマンライブのタイトルでもありますが、この「ribbon」にはどんな思いを込めたんですか?
グループにいたときもそうだったんですが、「俺はこう思っているぜ」「俺はこうしたいんだ」じゃなく、聴いてくれる人の人生を彩ったり、少し勇気出してもらえたり、自分の音楽はその方々の日常でありたいってずっと言っていて。自分一人になっても、その思いは変わらなかったんです。リボンは直訳すると「縦型の布」ですが(笑)、その方の素敵な人生を、僕の音楽というワンポイントでさらに素敵になるように彩れたらなという思いを込めました。響き的には「Reborn」=「再生する」という意味もあるので、そこも掛けながら。
ーリボンって、片手じゃ結べないんですよね。自分一人じゃないっていう意味にも重なるなと思いました。
そうですね。自分一人じゃ音楽を続けてこられなかったし、一人だったら死んでたのかもしれません(笑)。自分にとっての誰かっていう存在は、やっぱり大事なんですよね。
ー今後ファンクラブでやってみたいことはありますか?
僕が生まれ育った街や、初めてストリートをやった狸小路(札幌市)なんかにみんなを連れて行きたいです。僕の生まれた場所をみんなに感じてもらいながら歌う「さよならの瞬間」って、ひときわ意味が生まれるんじゃないかなと思うし。自分の通った学校も見せたいですね。そしていつか、お世話になったライブハウスの札幌ペニーレーン24でワンマンがやりたいなという夢もあります。
ーそういう夢を知るだけでも、みんなの希望になりますね。聖矢さんにとって、ファンはどういう存在ですか?
生き甲斐です。みなさんを喜ばせるためにいろんなことを考えているし、楽しませたいとか泣かせたいと思いながらライブを組む。そこを中心に生きているんですよね。
ー命に向き合う時間を過ごした聖矢さんが、ソロ活動の最初に発表したのが「さよならの瞬間」。ある意味原点の気持ちであり、初心であり、覚悟のようにも聞こえました。
ありがとうございます。今までは夢を追う、願っていれば叶う、頑張ればいけるっていう気持ちで生きてきたんですが、病気をして初めて“終わり”を意識したんです。終点というか。僕の人生が終わったとき、ミュージシャン小林聖矢の人生が終わったときに、何が残せるんだろうとか何が残るんだろうって初めて考えました。すごく落ち込んで命を諦めてしまおうかなって思ったこともあったのですが、そういうときにファンの方や隣にいてくれる仲間、事務所のスタッフさんの顔が浮かんだりして。
ーそうだったんですね。
すごい量のDMが届いたんですよ。私も苦しんでますとか、私も頑張ろうと思いましたとか。でも同時に「お前は治ったかもしれないけど、こっちはもうわかんねえんだよ」みたいなのもいっぱい届くんです。俺は早期で見つかったからこうやって前向きなことを言えるけど、ある程度進んだら手遅れになる病気だからこそ、その淵に立たされて頑張っている人もいるんだなと思ったら、ガッツ出せとは言えなくて。結局、歌詞を書くのに1年くらいかかりました。
ー1年ですか!
最初はみんなが今までかけてくれた言葉が落ち込みすぎて響かなかったけど、落ち着いてきたときに、今までかけてくれた言葉が響いてきて「あぁ、まだ諦めてないんだな自分」っていう自分がやっと見つかったんです。この「さよならの瞬間」に込めたかったのは、「いろいろあったけど、諦めてないぜ俺」じゃなくて、立ち止まったときに「しんどいよな」って、一緒に苦しんだり一緒に落ち込んだりできる…でも「失っていないものってない? あるよね」っていうのを、厚かましくない温度で伝えたかったんです。
ーGLAYの「誘惑」の意味が大人になってわかったように、いつかこの曲に助けられたり、意味がわかって好きになったりするかもしれない。そういう音楽の力ってありますよね。今日明日の結論を求めている曲ではないですし、聖矢さんにとって大事な気持ちを形にされたんじゃないかなと思います。
それこそ山村さんにも相談したんですが、最初に聴いてもらったとき「こんなの、“かわいそうだと言って”って言ってるようなもんだぞ」と。「誰に響く? 病気の人しか聴かないし、病気の人も落ち込んじゃう」って言われました。「音楽ってそういうことじゃないんじゃない?」って言われ、そこからもっと勉強して、自分の中で紡ぎ出したんです。自分の心としてもやっと乗り越えられた感覚があったので、上手いこと言葉を乗せられた気がしました。
ー改めてどういう人に聴いてほしいですか?
病気をしたり、あとは転職とか就職とか、生きていたら一度は人生や自分を見つめ直して、やめたくなる瞬間や放り投げたくなる瞬間があると思うんですね。そういう方に届いたら、「あぁ、そっか。なるほど」と曲に込めたものがわかってもらえるのかなって。
ー今後、成し遂げてみたい夢はなんですか?
歌って、歌い続けようと思えば一生歌い続けられると思うんです。僕は音楽も弾き語りも好きだけど、聴く人がいなくて一人だけで弾き語りしているのは自分が思い描くものではないんですよね。自分の音楽に、いかに自分自身で価値をつけ続けられるか。それはイコール、ファンをいかに喜ばせ続けられるかということだと思うんです。かつては日本武道館で歌いたいとか、アリーナを埋めたいとかありましたが、今はそのときそのときに自分が思い描く一番かっこいい自分を、死ぬまで超え続けていくことが目標であり夢です。
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