音の一部になりたいーーSSW・Ryo Yoshinagaが自身の「声」に込める想い

Interview
ポニーキャニオンとDIGLE MAGAZINEが新世代アーティストを発掘・サポートするプロジェクト『early Reflection』。18組目のアーティスト「Ryo Yoshinaga」が登場。

伸びやかで芯のある歌声を響かせるシンガーソングライター・Ryo Yoshinaga。自身のルーツである70〜80年代のソウル、Acid Jazz、ゴスペルなどの要素を彷彿させながらも、昨今のシティ・ポップ・ブームに通じる新しさも取り入れた楽曲が人気を呼ぶ、今注目のアーティストだ。また自身の活動に加え、THE ORAL CIGARETTESのアルバムや映画『キャッツ』の吹き替え版への参加など、多岐にわたって“声”にまつわる活動を展開している。

7月13日には連続リリース第1弾となるシングル「Konomama」をリリース。“このままじゃいけない”という誰しもが抱いたことのある葛藤を歌った同曲は、懐かしさのあるローファイ感と現代的なメロウさが見事に融合した“良質ポップス”に仕上がっている。

今回は、寄り添ってくれるような歌声と、想像力を掻きたてる余白のある歌詞でリスナーを魅了するRyo Yoshinagaに、音楽活動を始めた経緯や自身の声に乗せて届けたい想い、今後の活動についてを伺った。

ゴスペル、ソウルに魅せられた大学時代

ーまず最初に、音楽に興味を持ったきっかけや印象的な出来事があれば教えてください。

2歳ぐらいのとき、子供のための音楽教室に親が私をたまたま連れて行ったら、他の子たちにすぐに追いついて、「すごいぞ」ってなったらしいんです。私は全然覚えていないんですけど、その話を何回も聞かされるので、もしかしたら前世がミュージシャンだったんじゃないかなって(笑)。小さい頃から音楽が好きですね。

ーその頃から音楽の才能があったんですね。幼少期から音楽に触れつつも、大学まで本格的に活動を始めていなかったのは何か理由があるんですか?

ピアノを習ったり、歌うことがすごく好きでカラオケに行ったりとかはしてました。あとは高校生の時にみんなでバンドを組もうってなったんですけど、ボーカルをやりたいっていう子が他にいて。私はピアノが弾けたのと、楽譜が読めたから全然違う楽器を任されて、3曲ぐらいベースを弾いたりもしていましたね。

ーベースはやったことなかったんですよね?

単音しか弾けないんですけど、ピアノを弾くイメージで「この音はここだ」って1つ1つ覚えたりとかして。高校生の時は、その曲だけベースとかドラムを担当するっていう感じでバンド活動をしていました。

ーすごいですね(笑)。

本当は多分できてないと思うんですよ(笑)。ドラムもエイトビートぐらいしか叩いてないんですけど、当時は「じゃあ今叩けたからRyoちゃん担当ね」みたいな感じで。本当はちょっと歌いたいなって思いつつも、歌わずに音楽に触れていましたね。

ーなるほど。ボーカルをやりたいと思ったきっかけとかはあるんですか?

そもそも歌うのが好きだったっていうのと、あとは声を褒めてもらうことが多くて。音読とか得意だったんですよ(笑)。歌う時もいい声だねって言ってもらえることが何回かあったので、もっといろんな場所で歌ってみたいなって思ったのかもしれないです。

音読を褒められたんですね(笑)。小学生の時とかに授業で先生に褒められる、みたいな?

そうですね。あとは放送委員会でお昼の放送をしていたので、そこで読むのを褒めてもらった記憶があります。

ー放送する曲も決めたりしてたんですか?

やってましたね。私も当時は日本のポップスがすごく好きだったので、流行っているアイドルの曲だったり、アニメの曲を流していた気がします。大学に入るまではJ-POPや、洋楽っぽい曲だと宇多田ヒカルさんとかを聴いていました。

ー初めて買ったCDって覚えてますか?

多分とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」だったかな(笑)?それか、自分の意思で買ったのはブラックビスケッツの「Timing〜タイミング~」だったと思います。

ー懐かしい!大学のサークル時代に本格的に音楽を始めたとのことですが、その時カバーしたもので今の自分のルーツだと感じるアーティストはいますか?

大学時代は往年の洋楽を歌うサークルに入っていて、カバーするために初めてDiana RossThe Supremesの曲を聴き込んだんです。『ドリームガールズ』の映画を観ていたので存在は知っていたんですけど、時を経てもポップで可愛いし、こんな音楽あるんだってすごく夢中になって。あとはその流れでAretha FranklinとかChaka Khanとか、ゴスペルだったりソウルの楽曲をたくさん聴いていましたね。

ーどういう部分に魅力を感じたんですか?

ボーカル力ですね。アーティストの声とかコーラスの重なりによって全く違う印象を受けるからこそ、人それぞれの味が出ているように感じたんです。そういったアーティストたちの楽曲に触れるうちに、私も声で何か表現できたらいいなって思って歌の世界に没頭していきました。

ーその頃から“声”を使って何かを表現したいという想いが強かったんですね。ご自身でアーティストとして活動していく決意をしたのはいつ頃だったんですか?

「大学を卒業しても一生音楽を続けるぞ」って思っていたんですけど、親や先生も就職を勧めてきたり、周りが働いているのを見たら決意が揺らいで。その時は自分で納得して就職したんですけど、「やっぱり音楽をやりたいな」っていう想いが強くなっていったんです。働いているときも会社に内緒で歌ったりはしていたんですけど、もっと音楽に集中したいっていう気持ちが爆発したので会社を退職し、辞めた瞬間にシンガーソングライターやミュージシャンを名乗るようになりましたね。

ー不安はなかったんですか?

もちろん不安もあったんですけど、それよりも音楽をやりたい気持ちが強かったんです。あとは、音楽を通して出会った方々が「歌う機会があるよ」ってイベントやライブに誘ってくれて。そういった人たちに支えられているなっていう実感があったので、「これからやっていくしかないぞ」っていう気持ちになりましたね。

次ページ:聴き手に委ねられる歌詞を書きたい

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7〜80年代の洋楽やゴスペルをルーツとした、どこまでも響く伸びやかで芯のある歌声で、
"良質ポップス" を届けるシンガー、シンガーソングライター。

自身が影響を受けた洋楽のテイストを取り入れた、昨今のシティポップブームにも通づる楽曲に、
ポジティブもネガティブも全ての感情を肯定し、包み込むような深さを感じさせる歌詞を乗せて歌う。
聴き手の想像を掻き立てる、まさに物語の一説のような作品は "良質ポップス" と称される。

幼少期から音楽に触れていたが、歌うことを始めたのは大学生の頃。
ソウル、Acid Jazz、ゴスペルなどの楽曲をカヴァーするバンドサークルに所属し、授業そっちのけで部室棟の階段で歌っていた。卒業後は一度社会人として就職をするが、歌うことへの情熱が絶えず新卒で入社した企業を退職。
その後はミュージシャンとして、精力的に活動している。

ライブ活動の他、シンガーとしてCM楽曲や、イベントのテーマソングなども数多く歌唱。
またコーラスシンガーとしても活動。日本武道館、東京国際フォーラムなどでのライブ出演やテレビ出演、レコーディングなど多数参加している。

様々な場所でその "声" を必要としてくれる人のために歌っている。
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