RIRIKOがマルチクリエイターになるまで。やるからには妥協しない作品づくり

early Reflection
ポニーキャニオンとDIGLE MAGAZINEが新世代アーティストを発掘・サポートするプロジェクト『early Reflection』。17組目のアーティスト「RIRIKO」が登場。

シンガーソングライター、作詞作曲家、編曲家、ボカロPなど幅広い肩書を持つRIRIKO。シンガーソングライターとして自身の楽曲制作活動する傍ら、声優の内田真礼東山奈央をはじめとする複数の声優アーティストのTVアニメタイアップ曲、日向坂46ラストアイドルなどの数多くのアーティストへ楽曲提供、また今年よりボカロPとしての活動もスタートし、新進気鋭の若手クリエイターとして今注目を集めている。

6月15日には待望のニューシングル「好きな人消えて」をリリース。サウンドプロデューサーSawaCreaMと再びタッグを組んで制作された本作は、“好きから解放されたい”と悩む人たちへ贈る切ない恋愛ソングに仕上がった。

今回のインタビューでは、爽やか且つどこかノスタルジックな雰囲気を醸し出すメロディーと、共感性の高い歌詞が人気を呼んでいる彼女に、アーティスト活動を始めたきっかけから、楽曲の制作風景までじっくりと話を伺った。

自信を持ってできること

ー音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

小学校5年生の時にいとこがギターをやっていて「触らせてよ。私にも弾かせてよ。」ってお願いをしたら、「嫌だよ」って言われて。それで、ウクレレを渡されたんです。ギターと抑え方がちょっと違うんですけど、音階の感じとかは同じなので、弾いていたらもうその日のうちに簡単な曲ですけど、一曲弾けるようになったんです。それを見た親戚が「この子にギターをやらせた方がいいんじゃないか」っていう風に言ってくれたので、その気になってすぐにギター教室に通い始めました。

ー初めて弾いた楽曲を覚えていますか?

本当に簡単な曲なんですけど、「Over the Rainbow」のメロディをその日のうちに弾けるようになりました。

ー夢中になってギターを続けられていた理由はなんだと思いますか?

褒められること。親戚もギターの先生もなんですけど、みんなとにかく褒めてくれて。だから、続けられてたんだと思います。ピアノ教室の先生が嫌だから習い事に行きたくないって、よく友達から聞いてたんですけど、私の先生は怒ったりすることもなくて、ただただ褒めてくれるので、次が楽しみだなっていう気持ちで続けていました。

ーアーティストとしての活動を決意したのはいつですか?

中学校二年生の時にそれまでずっとギター習ったり、好きなアーティストのコードを調べたりして、曲ができる時のコードパターンを意識しながら弾いていたんですけど、段々自分にもできる気がしてきて、初めてオリジナル曲を作ったんです。それで、その時期に学校で『私の未来予想図』というプリントを進路相談用に渡されたんですよね。正直、将来のことはわからなかったんですけど、自分が一番周りに褒められて自信を持ってできることを考えた時に思い浮かんだのがシンガーソングライターだったんです。なので紙にそれだけ書いて提出したら、いざ三者面談の時に母親にそれがバレてしまって。でもその帰り道に何も反対されることもなく「ギターやらせててよかった」って言ってくれたんですよ。ちょっと軽めに書いてしまったんですけど、有言実行して、この夢は絶対に叶えないとって思って、それから本腰を入れて音楽の道を目指し出しました。

ーちなみに最初に作った曲は、どういう曲か覚えていますか?

今でも歌えます(笑)。「クロスロード」っていう曲名で、中学二年生の時に作ったので、ちょっと歌詞があれなんですけど…。サビが《クロスロード クロスロード 僕らの進む道は クロスロード クロスロード》っていう感じの曲でした(笑)。

ー子供の頃は何を聴いていましたか?

小学生の頃からYUIさんが大好きでずっと聴いてました。あとギターの先生がブルースを教えてくれる先生でもあったので、Eric ClaptonCreamを聴いて、ブルースはめちゃめちゃ弾いてましたね。

ー当時はバンドへの興味はありましたか?

中学の頃は音楽に興味を持っている人が周りにそんなにいなくて。高校は軽音楽部が強いところに入学をして、そこでほぼ初めて人と合わせたんですけど、合わせるのがとても難しくて。小学校の頃からずっとシンガーソングライターを聴いていたんですけど、そこから人の意見を聞いて、バンドも聴くようになりました。それでバンドをやりたいなって思うようになって、軽音楽部内で初めてバンドを組んだんです。

ーそれはオリジナルでやってたんですか?

一年生の時からオリジナルでやっていました。しかも文化祭に出るのに選考会っていうのがあるんですけど、軽音部は部員がたくさんいるので競争率が高くて。一年生は枠が二枠しかないのにバンドは5、6組いたんですけど、生意気に選考会でオリジナル曲をやりました。

ーそれはご自身で書いた曲ですか?

はい、そうです。でも最初は曲を書けるって言ってもバンドメンバーからはたかが知れてるって多分思われてたんですけど、実際に送ったら「これ作ったの?」「どうやって言葉出てくるの?」「こんなこと考えてるの普段」っていう風に言われて、興味持ってくれたんです。私もこれだったら一緒にできるかも知れないと思って、ドラムもベースも入れ方が全然わからなかったけど、みんなでスタジオに籠もって、色んな曲を聴いて研究して…。高校一年生で初めて人と一緒に曲を作って演奏しました。

ー青春ですね。そこから東京音楽大学に行かれたと思うんですけど、大学ではどういったことを勉強していたんですか?

東京音楽大学の中でも割と新しい学科なんですけど、DTMとかJ-POPの作詞作曲を学ぶようなソングライティングコース(※現在はミュージックメディアコース)っていうのがあって、その学科に通っていました。一応、作詞作曲はできている状態だったんですけど、あまり作詞も言葉と向き合っていなかったというか、全部独学だったんです。なので、人に習ってみたいなと改めて思って、そこで勉強していました。

ー独学から習ってみてどうでしたか?

正直、作詞に関してはガラッと言葉への向き合い方が変わりましたね。DTMもそこで初めて学びました。今、編曲とかもやらせていただけるようになったので、音楽の幅はすごく広がったと思います。

次ページ:青春感を大事にしている

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DIGLE編集部

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シンガーソングライター /作詞作曲家

1995.5.27 (25歳) 東京出身
11歳からギターをはじめ、中学生の頃から作曲を開始した。
高校時代にライブハウスでの活動をスタートし、
2011年に「高校生バンドバトル」でMVP賞、2012年に「JYOJI-ROCK U-22 GP」でベストボーカリスト賞を受賞。

卒業後は、東京音楽大学へ通いながら自身の音 楽活動を続け、2017年10月25日TVアニメ『クジラの 子は砂上に歌う』のOP主題歌となった「その未来へ」 でランティスよりメジャーデビュー。
その後、楽曲の仮歌や自身ライブの活動などを続け、 声優内田真礼の8枚目となるシングル 『SSSS.GRIDMAN』のED主題歌「youthful beautiful」で作詞・作曲を担当し作家としての活動も スタートした。
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