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文: 安藤エヌ 編:Mao Oya
地中深くに埋もれた化石を見つけるように、ふたりの女性が出会い、愛の波に溺れていく――。映画『アンモナイトの目覚め』が、4月9日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他全国で公開された。
Story
1840年代、イギリス南西部の町ライム・レジス。母親とふたりで暮らすメアリーは、生活のために観光客向けの化石を売る店を営んでいた。そんな折、化石収集家である夫に連れ添ったシャーロット夫人が店を訪れる。流産のショックで心を病んだシャーロットを療養のために、とメアリーのもとに置いて町を去った夫。生まれも育ちも違うシャーロットを最初は疎ましく思っていたメアリーだったが、高熱を出した彼女を看病するにつれ、次第に心を開いていくように。掘り出した化石を見つめるシャーロット、そんな彼女の美しさに気づいていくメアリー。ふたりの間にいつしかえもいわれぬ感情が芽生え始め、やがて深い愛の渦中へと沈んでいく。
主人公メアリー・アニングを演じるのは、過去に7度のアカデミー賞ノミネート経験を持つベテランであり、映画史に残る名作『タイタニック』でその美貌とたおやかさの両方を併せ持つ魅力を放ったケイト・ウィンスレット。メアリーと恋に落ちるシャーロット夫人を演じるのは、『レディ・バード』で多感な少女を瑞々しく演じ、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で快活かつ明敏なマーチ家の次女・ジョーを演じた、今最も注目されている俳優のひとりであるシアーシャ・ローナンだ。
監督は2017年に発表した長編映画『ゴッズ・オウン・カントリー』で数々の賞に輝き、一躍注目を浴びた気鋭、フランシス・リー。実在した考古学者であるメアリー・アニングの輪郭をなぞる形で作られた本作では、労働者であるメアリーと裕福な家の妻であるシャーロットが思いがけず出会い、愛し合っていく様を鮮烈に描いている。
荒々しくも美しいふたりの姿に呼応するように、曇天の下で荒れる海や吹きすさぶ風の音が観客を臨場感ある世界へと誘う。心の移ろいを逃さずに捉えるカメラワークやクローズアップと相まって、決して燦々とした光の降り注いでいるわけではない、泥にまみれながらも見つけ出したかけがえのない愛の世界へと没入させていく。
まず何よりも注目したいのがその、フランシス・リーという人物が描き出す作品に通底した自然描写だ。
『ゴッズ・オウン・カントリー』では、イギリスのヨークシャー州で農業を営む青年ジョニーと季節労働者のゲオルゲが出会い、雄大な自然の中で対話するにつれ次第に心を開いていく姿が描かれているが、彼らを取り巻く自然環境は決して生やさしいものではなく、時に摂理が牙を剥き、真理が投げ込まれ、また時には冷えた身体を芯から温めるような熱を与える。リー監督はそんな自然の姿をいかなる場合においても虚飾なく、ありのままに描いた。部屋の隙間から入り込んでくる風の音すらも捉えて離さないそのセンシティヴな感覚は、映画の持つカラーを一気に地や海が持つ本来の色にさせる。
本作『アンモナイトの目覚め』においても、監督が自然に向ける目は変わらずそこに在る。主人公メアリーは海のそばで化石を掘る。泥のぬかるみ、荒れ狂う海。雄大な自然に身を置く人間、という構図には、物事の本質を浮き彫りにさせる力がある。
また、労働階級であるメアリーや前作『ゴッズ・オウン・カントリー』のジョニーが住まう家は限りなく質素で、排他的である。閉塞された空間特有の息苦しさを感じさせる描写は、監督の得手とするところだろう。監督のイメージする、あるいは観客である私たちが監督の作品からイメージする情景は、前作や本作『アンモナイトの目覚め』においても雄弁に物語を語っており、このような描写を抜きにして監督の作品は成立しない、と言わしめるほどの重要な要素といえるだろう。
本作は前述したとおり、1800年代に実在した考古学者であるメアリー・アニングという女性を主人公に据えている。貧しい家に生まれ、家計のために父親から化石採掘を教わり、13歳という若さでイクチオサウルスの世界初の全身化石を発掘したメアリー。しかし、女性であり労働者階級でもあった彼女の功績は男性優位であった社会の中で埋もれ、研究成果が認められたのは死の直前だった。
そんな彼女にまつわるラブ・ストーリーを編もうとした時、監督は男性との関係を描かず、女性であるシャーロットとの関係を描こうと決めた。
「僕は自伝を作りたかったわけじゃない。メアリーを尊重しつつ、想像に基づいて彼女を探求したかった」
メアリーという女性の人生に同性が深く関わっていた、という想像に基づいて物語を作り、映画にするということの意義を、今の時代に改めて真摯に考えざるをえない。愛し合うふたりの関係を形づくるうえで、メアリーを演じたケイト・ウィンスレットはこのように話している。
「(ラブシーンにおいて男性が舵を取り先導する、という流れで)シアーシャと完全に対等になった瞬間に”なぜもっと前に気付かなかったんだろう”って頭にきた。なぜ男性の共演者に対して自分が対等だと思わなかったのか」
「メアリー・アニングのような存在がいるからこそ、私たち女性は自分の声に従おうという気になるの」
女性の活発な活動推進と社会進出の動きが見られる現代において、彼女の生き様から学ぶことは多く、またリー監督が紡ぎ出したふたりの愛についても、単にレズビアンの邂逅と深め合いの物語ではない、個々の独立した人間同士の物語なのだと捉えることで、映画から見えてくるメッセージがあるのだと感じる。
メアリーとシャーロットは、欠けていた部分を補い合うように、また地中に埋もれていた自己をその手で見つけ出された歓びを享受するかのように愛し合う。舞台となるイギリス南西部の町、ライム・レジスは色を失い、労働者たちが頭を垂れ歩き、波間に沈みきっている。そんな中、彼女たちは熱烈に愛を交わし合うのだが、メアリーの母親は病をわずらい、窪んだ目と曲がった背中は痛々しく観客の目に映る。ただ老いていき、小さくなる母親を傍観しているだけのメアリーの目線と、愛するシャーロットに向けるまなざしが同軸にあることで、この物語は決して夢まぼろしの最中にあるのではない、というリアリティを観客に思わせる。
苛烈な愛の交歓を描く反面、そういったキャラクターを登場させるバランスの巧みさに深く唸ってしまう。
また彼女は子どもを10人産み、そのうちの8人を亡くしたことによるショックなのか、常に陶器でできた動物の置物を執拗に磨き、自分のものだと主張するシーンがあるなど、パーソナルな描写を挿入することで、彼女がただのリアルな側面に気づくための「役割」ではないことを感じさせる。
母子が共に暮らす環境に変わりはなく、置かれた状況が転じないゆえの停滞と、メアリーとシャーロットの劇的で烈しい愛との対比は、物語の静/動となり、交差しながら観客を誘っていく。心を閉ざしていたメアリーが愛によって解れていき、ひとりの女性となる瞬間、本作に冠されたタイトルの意味をもう一度考えることになるだろう。
「化石」というモチーフの役割を考えた時、2017年制作の映画『君の名前で僕を呼んで』に登場する彫刻について考察したことが頭をよぎった。どちらも「海底や地中に埋まっている」「欠損が集合してひとつの身体、あるいは作品となる」「欠けていることが不完全ではなく、完全となる場合がある」という共通項があることから、本作について改めて考えを巡らせてみる。
メアリーとシャーロットは、生まれや育ちなど何もかもが異なる、いわば「性質の違う欠片同士」だ。どこか満たされず、境遇に従い生きている。そんなふたりが出会い、合わさって、ひとつになるというストーリーの節々には「異なる別々の性質をもったもの」としてのキャラクター描写が見受けられ、「部分」としてのふたりが描かれている、ということを思い起こさせる。だからこそ、互いの欠損を埋める存在として出会ったふたりの紡ぐストーリーが、まるで本当に地中深くから「見つけた」かのように深く沁みこんでくるのだ。
彼女たちの手に注目して観てみると、労働が日々のルーチンであるメアリーの手は骨ばっていて、指が太いのに対し、シャーロットの手はすべらかで白く、「労働をしない」手として彼女の手と重なり合う。そういったクローズアップが頻出する中で感じるのは、「彼女たちは本来、交わることはなかった」ということだ。しかし、自然のままに、本能の赴くままにふたりは愛し合った。時代に翻弄されいつしかまた土に還ろうとも、愛した女性の白い手が、その瞼には光のように焼きつくのだろう。
愛の炎は燃え盛るが、ふたりは離別を余儀なくされ、ラストシーンに差し掛かったころメアリーはとある選択をすることになる。それはたとえ愛を覚えようとも覆せない、抗いようもなく強い彼女自身の運命(さだめ)だったのではないだろうか、と感じる。
止まった時間の中で泥に汚れ、埋もれていたメアリーを見つけたシャーロット。アンモナイトが目覚めた時、メアリーの中で眠っていたものが動き出す。
ふたりの女性が確かに生き、愛し合った軌跡をたどる株玉の物語を、ぜひ映画館で鑑賞していただきたい。
INFOMATION
映画『アンモナイトの目覚め』
4月9日(金)
TOHO シネマズ シャンテ他 全国順次ロードショー配給:ギャガ
© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited
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