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文: 黒田 隆太朗
抜粋:
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ベルリンの壁があった時代、世界は東西に分断されていた。ニック・ケイヴ、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、ニナ・ハーデンは、そんな時代の音楽であり、『ベルリン天使の詩』、『存在の耐えられない軽さ』は、そんな時代の映画だった
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タイトルに吸い込まれるように購入した。いつかの時代の胎動を感じる副題と、読者を見つめるように転がる石を映した表紙になんとも言えない引力を感じたのだ(本書を読み進めるうちに、これが現地で拾った「壁」の破片だと知る)。また、昨年はドレスコーズの『ジャズ』(ジプシー音楽を基調として制作したドレスコーズの6thアルバム)を聴き込んでいたこともあり、「ジプシー」という言葉にいつも以上にアンテナを張っていたが自分がいたことを自覚しいている。だが、何より…「1989」である。私は自分が生まれた1989年という年に、昔から魔力のようなものを感じていた。それはマルタ会談が行われた年であり、ベルリンの壁が崩壊した年であり、ビロード革命が起きた年であり、天安門事件が起こった年である。日本では、この年に手塚治虫や美空ひばりが亡くなり、元号が平成に変わった。
本書は1989年から2019年にかけ、フォトグラファー/音楽評論家の石田昌隆が、断続的に続けた旅の記録を写真とテキストでまとめたものである。1989年1月2日、壁がある時代の東西ベルリンに始まり、チェコスロバキア、ハンガリー、ウクライナ、モスクワ、ルーマニア、マケドニア、コソボ、ブルガリア、イスタンブール、アテネ…そして再びベルリンへと辿り着く旅にはダイナミズムがあり、そこで生きている人々の息遣いが写真を通して伝わってくる。そう、氏が撮影したバンドやアーティストも魅力的だが、彼が旅先で出会う市井の人々の佇まいにこそ本書の魅力は凝縮しているように思う。プラハ橋で撮ったという女性の息をのむような美しさ、熊を連れて歩くジプシーの男性、お金をねだる子山羊を抱えた少年、仄暗くも美しい街並み…そのどれもが得も言われぬ逞しさを漂わせているように思う。誰もが激動の時代を生き抜いたんだろう。そして、その傍らでは「時代の音楽」が鳴っていたのだ。
著者は必ず旅先でレコードショップに寄り、その地域の音を確かめる。当時日本でも知られていたブルガリアン・ヴォイスも、現地のレコードショップで聴くと一味違う魅力があったという。また、バッド・カンパニーのポスターが飾られる、アルメニア人の店主が営むイスタンブールの小さな店なんかも雰囲気たっぷりだ。中でも90年の年明けすぐに、ルーマニアのレコードショップを訪れた際の感想は象徴的である。「売っているものはすべて国営レーベルのものだった。(中略)ハンガリーでは西欧のロックが普通に売られていたが、そういうものは一切なかった。(中略)西欧の文化は遮断するという国家の強い意志が窺えた」というエピソードは、その時代背景を思わせるにはあまりあるものである。
こうやって当地の音楽を通し、その社会の断片を救い上げるように各所のレコード屋を訪れたのだろう。実際冒頭の抜粋がそうであるように、あらゆる芸術は必ずや誰かの生活を反映し、いずれかの社会の映し鏡であり、そしてその土地の政治を反響するのである。ブダペストの道にあった「Punk’s Not Dead」という落書き、チェコ共和国の初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルがThe Velvet Undergroundのレコードを買っていたというエピソード、壁が崩壊した頃にワールドミュージックが浮上してきたとうい著者の考察…そのすべてがこの時代の音楽が背負っていた背景である。壁の上に書かれていたという表題の「If You Love Somebody Set Them free」という言葉からは、この時代の「自由」への渇望を感じずにはいられない。ブルース・スプリングスティーンが記者会見で言ったという、ロックを通して自由を学んだというスピーチが引用されているが、音楽は社会に内在する願望を具現化するのである。
さて、タイトルにも記されているように、本書には大きなテーマとして「ジプシー」がある。敢えて分類するならば、前半が1989年から1990年頃の壁崩壊前後のベルリンや東欧の旅、後半が2000年以降にタラフ・ドゥ・ハイドゥークスをはじめとした、ジプシーバンドのキャリアを追いかけた旅である。タラフの撮影をしたカメラマンは世界中にいるはずが、2000年代初頭に故郷・ルーマニアのクレジャニ村にまで行ったフォトグラファーはそうはいないだろう。コチャニ・オーケスターやファンファーレ・チォカリーア、エミール・クストリッツァやエスマ・レジェポヴァ、そしてゴーゴル・ボーデロなど、ジプシーの歴史を面で捉えるような旅が繰り広げれられていく。すなわち本書はその音楽を理解するためのヒントとしても優れた資料であり、傍らでシャッターを切ってきた氏だからこそ書ける眼差しがある。
著者の言う「ベルリンの壁の崩壊によってジプシーの音楽がわれわれ外部の人間にも届くようになった。しかしその一方で、昔ながらの音楽文化は廃れつつあるようだ」という言葉も象徴的だ。90年代から00年代、そして10年代へと流れていく中で、彼らがどのように生き、どのように知られ、どう伝承されたのか(…もしくはどう伝承「されなくなっているのか」)が考察を踏まえて綴られていく。そこにノスタルジックな気分を抱くことも可能だが、どこか希望を持った筆致からは、音楽そのもの胆力を感じるはずだ。
「いくつもの方向に話が展開するが、それはすべて繋がっているひとつの世界で起こった出来事であり、ぼくら世代が体験した歴史なのだ」とは本書巻末の一節である。「音楽」、「文化」、「政治」、「旅」という4つのファクターが絡み合うその煩雑さこそこの1冊の醍醐味だ。時代のうねりに著者自身が積極的にコミットし、フォトグラファーとしてその一瞬を捉えていく様には感服する。本書も終わりに近づく頃に、「音楽は一期一会だ」という一文がある。夜行列車の中で知り合ったアンドレという青年と親しくなるところから始まり、数々のジプシーバンドの音楽を活写し続けるそれは、間違いなく一期一会の連続だろう。いくつもの出会いといくつかの別れ、何度かの再会は「旅」の魅力そのものであり、きっと筆者もその出会いの熱量を求めて続けていたのではないだろうか。
そう言えば、「プラハの春」のチェコスロバキアを描いた映画『存在の耐えられない軽さ』では、主人公が「人生は二度あれば比較できるだろう。でも人生は一度で、はかないものだ。人生は補填もきかないし修正もできない」と語るシーンがある。人生は一度きりで比較ができないから、人は何を望んでいるのか知り得ないのだと。私達は二度生きることができないからベストを選べない。だが、二度はないから、夢中で何かを求めることができるんだと思う。
石田昌隆著『1989 If You Love Somebody Set Them free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』
単行本: 192ページ
出版社: オークラ出版 (2019/11/18)
言語: 日本語
ISBN-10: 4775529099
ISBN-13: 978-4775529096
発売日: 2019/11/18
梱包サイズ: 24.2 x 17.8 x 2.3 cm
石田昌隆プロフィール
石田昌隆 いしだ まさたか
1958年千葉県市川市生まれ、千葉大学工学部画像工学科卒。フォトグラファー、音楽評論家。ロック、レゲエ、ヒップホップ、R&B、アフリカ音楽、中南米音楽、アラブ音楽、ジプシー音楽など、ミュージシャンのポートレイトやライヴ、その音楽が生まれる背景を現地に赴き撮影してきた。著書は、『黒いグルーヴ』(青弓社)、『オルタナティヴ・ミュージック』(ミュージック・マガジン)、『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』(河出書房新社)、『Jamaica 1982』(オーバーヒート)。撮影したCDジャケットは、Relaxin’ With Lovers、ジャネット・ケイ、ガーネット・シルク、タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ジェーン・バーキン、フェイ・ウォン、矢沢永吉、ソウルフラワーユニオン、カーネーション、ほか多数。旅した国は56ヵ国以上。
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