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Interview
18/03/10

時代に流されないメロディを。大比良瑞希の軌跡と挑戦 | Music DNA#15  

それぞれの音楽ライフを掘り下げるインタビュー企画『Music DNA』。15回目はシンガー・ソングライター/トラックメイカーである大比良瑞希。前身のバンドであるヘウレーカを経てソロとなり、新世代の女性ミュージシャンとして脚光を浴びてきた彼女が辿ってきた音楽ライフと、これからについてお話を聞かせてもらいました。

音楽の力に感動した小・中学生時代

-まず最初に大比良瑞希さんの音楽との出会いについて聞かせてください。

幼稚園の頃に両親がピアノを習わせてくれたのが初めて楽器に触れたきっかけでした。でも全然弾けなくて、才能ないと思ったそうです(笑)。

小学生の時にエレクトーンを始めたんですが、それで音楽にのめり込んだというより、その時期にSMAPのコンサートの魅力を全面的に押し出してきて、一緒に連れて行ってくれたお姉さんみたいな人がいたんですよ。そこで歌の力や、エンタテインメントの面白さを最初に体感したような気がします。自分が演奏する側の音楽に目覚めたのは、中学1年の時に友達にバンドやろうよって誘われてからです。

-どんなバンドだったんでしょうか?

「チュッパチャップチュ→」という可愛すぎる名前の女子7人バンドでした(笑)。文化祭に出るオーディションの為に、とにかく皆が盛り上がれて楽しくなれるような当時のJ-popをカバーしてました。

-当時からフロントマンとしてボーカルを担当されてたんですか?

いえ。私の歌が今よりクセが強かったこともあって、コーラスもやれる雰囲気ではなくてリードギターを担当してました。JUDY AND MARYの「そばかす」のソロとかを物凄いグチャグチャになりながら弾いたり(笑)。

-声が魅力と言われてる瑞希さんには意外な過去です!ミュージシャンになることを意識し始めたのはいつ頃だったんでしょうか?

中学生の時そのバンドを組んでからです。ステージに立っている時、自分達が好きでやってる音楽で皆が楽しんでくれた感動がとても大きくて。今までで今この瞬間が一番楽しい!って純粋に思えたから、このまま音楽で生きていきたいなと思い始めて。

その辺りからいろんな会社にデモテープを送ったりしてました。高校1年で作詞作曲を始めて、そこから徐々に歌うことも楽しくなってきたので、1人でだんだんリズムマシンとエレキギターでライブに出たりするようになりました。大学へ進学してからもサークルの仲間と、これまた変なバンド名の「おまくそじー」というバンドで活動して、その後ヘウレーカに繋がっていきます。

-憧れのアーティストなどはいましたか?

音楽で生きていこうと改めて思ったキッカケの1つなんですが、カナダの女性シンガー・ソングライターであるFeist(ファイスト)ですね。学生時代、代官山のヴィンテージショップに行った時に、すごく良い曲がかかってるなぁと思って、一瞬で虜になって。声も好みだったので、店員さんに聞いてFeistだと知りました。彼女のカバーしたRon Sexsmith(ロン・セクスミス)の「Secret Heart」のライブ映像も好きすぎて、一番影響を受けていると思います。

iPodのCMで有名になった「1234」みたいな、多くの人が受け入れやすいポップスも作る中で、感情の憂いを音楽で表せるような、音楽でしか見られない景色を表現できる彼女はすごく尊敬しています。

フジロック決定は自分の音楽が肯定された瞬間だった

-ヘウレーカ解散から大比良瑞希となり、現在のプロデューサーであるチェロ奏者の伊藤修平さんと一緒に活動されてます。お二人が知り合ったキッカケはなんだったんでしょうか?

伊藤さんは共通のミュージシャンの先輩から、チェリストの面白い人がいるから一緒にライブしてみてはどうかって紹介してもらったんです。

そのライブの初リハーサルの時に、方向性について話し合ったりする中でCat Power(キャット・パワー)とかCharlotte Gainsbourg(シャルロット・ゲンズブール)といった、海外の女性シンガー・ソングライターの曲を聴いたりライブ映像を一緒に見て、こういうのが良いんじゃないかとか、提案される内容が新鮮で、まさに私のやりたいことだったんですよね。好きな音楽の感覚もとても合う感じがしたので、その後も一緒に制作をするようになりました。

-それで15年3月にお二人で制作された『LIP NOISE』が発表され、同年7月にはフジロックに出演しています。かなりのスピード決定ですね。

私もかなり驚きました。たまたま出演した下北沢のライブハウスのPAさんが、私たちを気に入ってくださったようで、数日後突然、「7月の29-31日って空いてる?」って連絡がきて。「あれ、その日程って…まさか」みたいな(笑) 。

それで本当に決まって、チェロとエレドラと私のエレキ弾き語りの3人編成で、初のアヴァロンステージに出させていただいたんですが、いきなりのジャンプアップ過ぎて当日はかなり緊張しました。

-新人としていきなり場内のステージに出演は本当に凄いです。その後フジロックに出たことで変化はありましたか?

周囲からというより、自分の中で変わった感覚はあります。音楽ってどこからプロのラインなのか難しいじゃないですか。

中学生から音楽を始めて、曲を作って、演奏して…なんだかんだやってきましたが、なかなかミュージシャンとして明確な結果を残せない日々にモヤモヤすることもあったんですよ。でも夢だったフェスに思いもよらない形で出演が決まって、「自分は音楽をこのまま続けて良いんだ。」って感覚というか、自信につながりました。

今まで応援してくれてた家族とか、友人に恩返しの一歩を出せたという意味でもとても嬉しかったですね。

-その後には自身のプロジェクト以外にもLucky Tapesやtofubeats、その他にも様々なアーティストの楽曲にコーラスとして参加されていますね。これはフェス出演に関連してますか?

これは違うんですよ。『TuneCore』というディストリビューターのサイトに、自分で曲を登録していたんですが、当時の中の人が、私の「Sunday Monday」という曲を聞いて、メールをくれて。

その方が角舘健悟くん(Yogee New Waves)tofubeatsさんと繋げてくれたんです。その時ってシティポップの流れが来ていた時期だったこともあって、そのシーンの人達とも徐々に繋がることができたんですよね。

あとは、その「Sunday Monday」のMVが予想以上に反響があり、初めて一人歩きした感じがあったので、そこから新たな出会いが増えましたね。その中で高橋海くん(Lucky Tapes)とも知り合って、ラジオで曲を紹介してくれたお礼もあってライブに行って挨拶したら、来週のワンマンでコーラスやってよって話になったんです。

-シンガー・ソングライターがサポートでコーラスに参加は珍しい気がします。やってみてどうでしたか?

そうですね。まず自分以外のリハーサルを見るのが初めてだったので新鮮でした。今までは自分主体で作品に携わってたので、サポートという、ある意味自分じゃなくても成り立つ状況のなかで自分の色の出し方とか、引き具合とかが難しくて、初めてのスタジオ後はなぜかショックを受けながら帰りました。自分が参加したことによって、そのサウンドにどう良い影響を与えれたのかがわからなくて。良い意味でハッとさせられましたね。

その後2年間ずっとLucky Tapesの作品にはコーラス参加させてもらいましたが、とてもいい経験でした。

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Photo by 遥南碧

etoo
Writer: etoo
音楽シェアサービスDIGLEのプロデューサー兼UI/UXデザイナー兼DIGLE MAGAZINE編集長。音楽フェスメディアFestival Lifeのディレクターとしても活動し、1年で約1カ月半はフェス会場にいる。普段はフクロウの銀次とのんびり暮らしている。
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