文: 久野麻衣 写:Kazma Kobayashi
音楽が自己表現という遊びの一つだった。だからこそ、成長と共にその音楽も自然と広がっていくのだろう。
ラッパーのTossとヴォーカルのRyoから成るユニット、sankara。高校時代に出会った彼らは、共に様々な音楽やカルチャーを吸収し、自分たちがかっこいいと思う音楽を信じてきた。年月を経た今も、自分たちがかっこいいと思うものに嘘はない。ずっと自然体で音楽を続けているからこそ、日本語と英語がスムースに繋がれた巧みなフロウも、心地よいメロディも、染み込むように耳に入ってくる。
そんな彼らの芯となる音楽体験から、新EP『SOP UP』でみせた開放感や彼らの目指すべき表現について話を聞いた。
ーお二人とも幼い頃は海外で生活していたそうですが、今の自分に影響している部分はどんなところにあると思いますか?
Ryo:
僕は中学校1年生までハワイで育ったんですが、日本との大きな違いを感じたのは学校ですね。向こうでは音楽の授業で“バンド”っていう授業があって、そこで色んな楽器に触れられるんです。僕はその授業で初めてトロンボーンとテナーサックスを触りました。今は吹けないですけどね(笑)。ー日本とは日常的な音楽の距離感が違いそうですね。
Ryo:
今聴いてるような洋楽が日常的にラジオで流れてましたね。ハワイの人達はそんなにお金がないのでCDやMDは持ってないんですけど、絶対どこかしらにラジカセが置いてあるし、図書館でも音楽流れていたり、どこでも音楽が聴ける環境ではありました。“音楽を聴く”というか“常に楽しんでる”って感じですね。ハワイ特有の雰囲気だったと思います。ー南国的なのんびりとしたイメージがありますよね。
Ryo:
それで僕みたいな感じになっちゃうんでしょうね(笑)。ーTossさんはいかがですか?
Toss:
僕は小1から小5までロンドンで暮らしていました。その時はサッカーばっかりしてたので、音楽的素養は特にないんですよ。ー当時よく耳にした音楽は覚えていますか?
Toss:
Spice Girlsやユーロビートのリミックスは耳に入ってきてましたけど、当時イギリスではほとんどヒップホップは聞かなかったので、音楽はあんまり直結してないかも。それよりもアイデンティティ的な部分が大きいですね。英語と思考はその時の影響が色濃く残ってると思います。ーそれはやはり色々な人種がいる環境というのが大きいのでしょうか。
Toss:
そうですね。ちょっと差別的なこともありましたし。バカにされたりもしたけど、今はそれがいい反骨心につながってると思います。この前ラッパーのSEEDAさんの映画『花と雨』を観に行ったんですけど、最初のシーンでサッカーしてたり幼少期のイギリスの感じは凄く共感できました。ーなるほど。その後、お二人は高校で出会ったそうですが、当時はどんな高校生でしたか?
Ryo:
とにかく学校が国際的でしたね。Toss:
英語科だったので生徒もハーフの子がいたりして、教室では普通に海外のヒップホップがかかってました。Ryo:
誰かがラジカセを持ち込んで、昼休みに持ってきた今イケてるCDを流す…みたいな。Toss:
結構爆音でね。ー周りの友達も音楽が好きな人が多かったですか?
Ryo:
そうですね。バンドとかダンサーとか、今でも続けている人が多いです。ー当時から濃い音楽カルチャーに触れていたんですね。
Ryo:
カラオケ行ったりプリクラ撮ったり、普通の高校生活してましたよ(笑)。服装とかはヒップホップっぽい格好してましたけど…。Toss:
だぶだぶのXXXL着てね。Ryo:
真似っこはしてましたけど、特に「音楽にどっぷりつかろうぜ」って感じではなかったです。たまたまそういう環境にいれただけで。Toss:
遊び場は多かったかもしれないです。そのころからクラブに行ってたし、なんなら遊びの延長でイベントやってたし。Ryo:
高校生でヒップホップのダンス・DJ・ライブをやるイベントを主催するなんてレアだし、すごくいい環境にいたと思います。リードしてくれる先輩や仲間がいたから、僕らも自然に引き込まれて音楽を始めてたし。Toss:
それに、当時は二人ともヒップホップを特殊なものだと思ってなかったんです。すごくナチュラルにヒップホップでお茶の間にいこうとしてて、「うたばん出てぇ」ってずっと言ってたし、本当にいけると思ってた。「僕らの好きなジャンルは日本でマイノリティなんだ」って知る前は無敵だったんだろうだなって思います。そのマインドは戻さなきゃな。RELATED PLAYLIST
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