北海道発SSW・Furui Rihoが1st アルバムに込めた3年間の軌跡

Interview

文: 高木 望  編:Mao Ohya 

ポニーキャニオンとDIGLE MAGAZINEが新世代アーティストを発掘・サポートするプロジェクト『early Reflection』。14組目のアーティスト「Furui Riho」が登場。

北海道在住のSSW・Furui Rihoのキャリア初となるフィジカル作品、1st Album『Green Light』が、2022年3月9日にリリースされる。

今回のアルバムには音楽プロデューサー・Yaffleと共同制作した『青信号』や、トラックメイカー・A.G.Oと組んだ『Candle Light』など、全9曲が収録されている。

アルバムがリリースされるまでの約3年間を「駆け抜けた」と表現するFurui。今までの音楽活動において、何が彼女を加速させ、次へ進むためのモチベーションとなったのだろうか。アルバム制作を終えたばかりの彼女にインタビューを行った。

Mariah Careyのライブ映像を擦り切れるまで観ていた

ーFuruiさんの音楽のルーツについて教えてください。

小学校5年生の時、家の近くに教会があって、そこの牧師さんと私の母がたまたま繋がったんです。教会のゴスペルライブに誘われたので行ってみると、自分と同世代くらいの小学生たちが楽しそうに英語の曲を歌っていて。

すごくかっこよく見えたんですよね。家に帰ってからすぐに「ゴスペルをやりたい」って母にお願いしたのが始まりです。

正直、その時は「衝撃を受けた」というよりも「羨ましい」っていう感情がすごく大きかったです。もともと何かしらの音楽をやりたいとは思っていたんですよ。ピアノも飽きて辞めてしまい「次は歌をやりたいな」と思っていた頃でした。

ーゴスペルに出会う前はどういった音楽が好きだったんですか。

モーニング娘。やaikoさん、あと母の影響でCarpentersCHEMISTRYも聴いてました。日本のメジャーなJPOPミュージシャンが多かったと思います。

ただゴスペルに出会ってからは、90年代のR&Bやソウルを漁るようにもなりました。Mariah Careyのライブのビデオテープを友達から借りて、テープが擦り切れるんじゃないかと思うくらい何度も巻き戻し、歌い方を練習していましたね。

ー実際にプロとして活動していきたいと思い始めたのはいつから?

小さい頃から音楽に触れていたからこそ、なんとなく「歌手になりたい」とはずっと思っていました。でも高校生になってから「現実はそこまで甘くない」と半ば夢を諦めていたんですよね。

ー何か諦めざるをえないことがあったんですか?

実は私の母も過去に歌手を目指していたんです。私が高校生の時、母に「音楽の仕事につきたい」ってポロっと言ったら、母が「現実的に難しいんじゃない?」って。母はかなり努力したのですが、歌手になれなかったんですよね。挑戦したのに夢が叶わなかった人が身内にいたからこそ、“プロの歌手”になることは決して容易な道のりではない、という認識がありました。

ただ大学に上がってから、ボイストレーナーの知り合いに誘われて、ステージに立つ機会があったんです。そしたら、それが本当に楽しくて。少しずつライブを重ねるにつれ自信もついて「やっぱり歌手になりたい」って実感するようになりました。

ーその時のライブで、何がそこまでFuruiさんの意識を変化させたのでしょうか。

うーん、もともと目立ちたがり屋だった、っていうのはあるような気がします(笑)。その時、みんなに歌を褒めてもらえたことですかね。ゴスペルは大人数で歌うので、自分1人が注目されることってないじゃないですか。

その時は初めてのソロステージだったんです。自分の歌を評価されたことが、すごく嬉しかったのを鮮明に覚えています。

日々のちょっとしたことが曲作りの起点になる

ー自分で作詞作曲をするようになったのはいつからですか。

高校生からです。音楽の授業中、リコーダーをやらずにピアノの部屋に行き、こっそり曲作りをしていました。

本格的に作り始めたのは大学1年生頃から。知人に相談しながらCubase(楽曲制作ソフト)を購入しました。そこからは独学で、聴かせられないクオリティの音楽をコツコツ作っていましたね。

ー当時の音楽を思い返した時、影響を受けていた音楽はありますか? 

90年代〜2000年代のR&Bやゴスペルからの影響は大きかったと思います。Mariah Careyはもちろん、Ne-YoやUsherMinnie Ripertonが楽曲制作のルーツになっていたと思います。

ー(笑)。当時は歌詞や自分の感情を起点に曲を作っていたんですか?

歌詞は二の次でしたね。とにかくグルーヴィで洋楽っぽい楽曲を目指していましたし、歌い方もかなり意識していました。いかに耳に心地よく聴こえるかを重視していたと思います。

ただ、今も当時も意識的にゴスペルやR&Bなどのルーツを意識的に守っているつもりではないんですよね。たくさんの音楽を聴いて過ごしてきたわけではなく、一つの音楽に没頭していたから。だからこそ引き出しが少ないんです。気づいたら向かっちゃっているような感じ。

ーでは、今の楽曲制作のスタイルは?

曲によりけりではあるのですが、共通して言えるのは歌詞をすごく大事にしていることです。自分が経験してきたリアルを言葉で表現し、今まで培ってきた声のグルーヴを活かせるような曲作りを意識していますね。

ーどういう時に「歌にしたい」って思うことが多いのでしょうか。こちらも曲によりけりではあると思うのですが。

曲ができるきっかけの一つとして、大きな感情の変化があります。別れや出会いはもちろん、友達や家族と過ごしていて心が満たされた日があれば、それが曲になることもあります。テレビやSNSで誰かが言い合っていて、心が動かされたらそれも曲になるし。日々のちょっとしたことが曲作りの起点になっていますね。

ウジウジした自分を乗り越えた先に「Rebirth」が生まれた

ー今回の1stアルバム『Green Light』はいつから準備されていたんですか?

半年以上前ですね。アルバム収録用の新曲を作り始めたのが10月頃。曲作りのペースが遅いので、今までにないスピードで3曲を作りました。不安でした〜。本当に完成してよかった。

ー収録曲で、もっとも思い入れがある曲は?

難しいな。2曲あって、ひとつは「Rebirth」です。曲を書く前後で私の心境や環境が全く違うんですよね。「Rebirth」を起点に自分の全てが変わりました。

「Rebirth」以前は「いい歌い手になりたい」っていう思いがありつつも、見えない力に阻まれてウジウジしていたんです。でもそれを乗り越えた先にこの曲が生まれました。また「Rebirth」を起点に北海道から全国へ進出できたからこそ、思い入れはあります。

もう1曲は「青信号」ですね。プロデュースしていただいたYaffleさんの曲がずっと前から大好きで、一緒にやりたいと思っていたんです。実現したのが嬉しい。

また、この曲の歌詞はアルバムに収録された他の8曲からそれぞれのフレーズを引用しています。今までに書いた楽曲一つ一つのかけらが集められているんです。アルバムタイトルの『Green Light』もそうですが「今までの活動のかけらを集め、また前に進んでいく」という意味を込めています。

ーYaffleさんとの楽曲制作で印象的だったことは? 

最初、Yaffleさんのスタジオで一緒に相談しながら曲作りをしていたのですが、たった数時間のうちにYaffleさんが4曲作ってくれたんですよ。「私のために4曲も!」っていう喜びが溢れましたね。

全部の曲が本当によくて、どれにしようか悩みましたが、そのうちの1曲を持ち帰りました。コードを付け加えてYaffleさんに送り、またブラッシュアップされたVer.が返ってきて……。「Yaffleさんと楽曲を作った」って初めて実感できた瞬間でした。

ー4曲のデモの中から今の「青信号」に繋がる1曲を選んだ決め手はなんだったのでしょうか?

一番自分がやったことのないタイプの楽曲でした。今までは自分と向き合った先に出てくる音楽だけで勝負することが多かったんです。でも今回は私の持ってる力をYaffleさんに引き出してもらい、新たな化学変化を生み出せると思いました。

ーなるほど。では9曲の中で一番作るのが難しかった曲は?

うーん。全部頭を抱えてるんですよね……正直「青信号」かもしれないです。新しいことに挑戦しているからこそ、正解が分からなくて。

今までなら自分で良し悪しを最終的に判断していましたが、今回はYaffleさんに作品のゴール地点を委ねていました。だからこそ、自分にとっての不正解がYaffleさんにとっては正解だったりもするんです。最適解を導き出すのが難しかった。

あと「ABCでガッチャン」っていう新曲も意外と悩みました。もともと少し古臭いアレンジをしていたので、今っぽい音にアップデートしてみようと思ったんですよ。でも一度曲のイメージが自分の中で定着していたからこそ、新しく構築し直す作業に難航しました。

がむしゃらに走ってきたからこそ次は素直な自分を出したい

ー先ほど「今までの3年間の楽曲をすべて集約したアルバム」とおっしゃっていましたが、次に音楽活動でチャレンジしたいことは何ですか?

この3年間「Rebirth」を書いてから結構がむしゃらに走ってきたんです。「ウジウジしていた自分から解き放たれたい」「北海道にいながら東京の人に聴いてもらうにはどうしたらいいんだ」とか。

そうやってがむしゃらに音楽活動をやってきたからこそ、次はちょっと力を抜きたいです。今のありのままの自分を素直に出せるような楽曲を作りたい。

ー今や東京にも活動の可能性があるなかで、なお北海道を拠点にする理由とは?

北海道が好きだからですね。ご飯も美味しいし自然もたくさんあって、時間の流れが遅い。特にコロナ禍でリモートワークが加速したからこそ、最近は北海道からも音楽を発信しやすい環境が整ったのかなと思います。

心の落ち着く場所が自分にとっては必要だと思うので、今後もできれば北海道に住みながら音楽を続けたいです。

ー今後は東京、札幌と大阪とワンマンツアーが予定されてますが、ツアーで期待していることや楽しみにしていることを教えてください。

まず大阪でのワンマンが初めてなんです。実は、東京の次に大阪のリスナーさんが多いんですよ。地元なのに札幌が少なくて……(笑)。

ワンマンライブはここ数年で何回か重ねてきていて、その度に自分が成長できていることを感じています。次のライブではさらにパワーアップした自分をお見せできる気がしているので、皆さんにお会いするのを楽しみにしています。

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