音楽で切り開いてきたあっこゴリラの人生とこれからの野望 | Newave Japan #008

Newave Japan

文: ヨシヤアツキ  写:遥南 碧  編:江藤勇也 

それぞれの音楽ライフを掘り下げるインタビュー企画『Newave Japan』。8回目はドラマーからラッパーに転身して僅か2年半で日本のHIP-HOPシーンで注目されているあっこゴリラ。向井太一とのコラボ曲「ゲリラ × 向井太一」がspotifyのCMソングとして起用され、「余裕」でメジャー再デビューを果たしている。命の危険を冒して野生のゴリラに会いに行ったり、他アーティストとのコラボなど積極的な活動をしているが、過去には言いたい事を言えずにいたそう。そんな彼女がラップと出会って見出した自己表現とは?

“あっこゴリラ”の始まり。

ーまず最初に聞きたいのですが、なぜあっこゴリラという名前なんですか?

もともとドラムをやってたんですけど、ドラムを叩く時に色々イメージして叩く事が多くて。例えば、ジャズのドラミングを渋そうな顔して叩くあの感じ。そうした方がグルーヴ掴めると思うんですよ(笑)。

それで完成した曲のイメージを掴もうと思った時に、これはゴリラで行こうって思って。その時に「あれ待てよ…ゴリラって最強じゃねぇか!?」って思ったんですよね。グルーヴという観点において最強だなと感じたので、自分がドラムを叩く上でゴリラが1つのデカいキーワードになりました。その後ラッパーとしても引き継がれた感じですね。

ーラップを始めた経緯を教えてもらえますか?

バンド時代にワンマンとか長い時間のライヴの時、ずっと同じテンションだと面白くないという事で、一発ぶち上がる瞬間が欲しいと思って、ラップをやり始めました。それがすごく好評で恒例になったんですよね。最初は何も知らなかったから意外といけると思っていました(笑)。今となってはラップって奥が深いと思いますが、当時はノリだけで楽しんでやっていましたね。

ーなるほど。ではドラムを始めたのは何かきっかけがあったのですか?

小学校の時に『天才てれびくん』で8ビート講座みたいなのがあって、それを見て足と手をバラバラに動かすのをやってみたいなと思ったのがきっかけで始めました。菜箸とボールでかなり練習して、それから学校の音楽室のドラムセットで練習して8ビートとフィルはできていましたね。合唱曲にドラムで合わせたりしていました(笑)。

その後、小学校卒業してから全然やらなくなったんですけど、高校の音楽室にドラムがあったので、友達とバンド組んだりしていましたね。

ーその当時影響を受けていたアーティストいますか?

うちは音楽が溢れている家庭だったので、いろんなアーティストを聴いていました。父親が初めてくれたCDがKing Crimsonだったんですよ。あとはThe Beatlesとか。車の中ではジョン・レノンのソロがいつも流れてて……。

ピアノもやっていたから、クラシックも聴いていたんですけど、好みははっきりしてました。ただ、ジャンルは分け隔てなく聴いていましたね。60年代70年代のロックとクラシックとみたいな。それで高校の途中からオルタナティブにハマって、主にNUMBER GIRLなんですけど、向井秀徳さんが大好きで。影響を受けた、というより大好き(笑)。

ーご自身の曲にも「向井さん」という曲がありますけど、どうしてここまで向井さんが好きになったんでしょうか?

初めてイントロのサウンドを聴いた時に「めちゃめちゃかっこいいぞ」と感じて、その後に歌がポンって乗ってきたんですよ。「かっこいい声が来るだろうな」と思ってたらイメージと違くて。その後に歌詞カードに写ってる顔見たらびっくりして。またまた想像とは違かったんです(笑)。

初めて聴いたときは分からなかったんですけど、オルタナティブって歌の上手さとかじゃなくて、個性的な世界だと思うんです 。ちぐはぐ感がバンドの醍醐味だと思っていて。一見違う種類が合わさると、なぜかモンスターになるのがバンドの魅力。その魅力にやられたんだと思います。

次ページ:HIP-HOPから教えてもらった、自己表現

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レペゼン地球のラッパー、あっこゴリラ。

リズムで会話する動物、ゴリラに魅了され、ドラマー時代に「あっこゴリラ」と名乗りはじめる。

ラップ・トラックメイクを自身が行い、また元々ドラマーという異色な経歴から自由に生み出されるラップスタイルは、唯一無二の形を提示している。
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