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Interview
17/11/06

音楽で切り開いてきたあっこゴリラの人生とこれからの野望 | Music DNA #008

それぞれの音楽ライフを掘り下げるインタビュー企画『Music DNA』。8回目はドラマーからラッパーに転身して僅か2年半で日本のHIP-HOPシーンで注目されているあっこゴリラ。命の危険を冒して野生のゴリラに会いに行ったり、他アーティストとのコラボなど積極的な活動をしているが、過去には言いたい事を言えずにいたそう。そんな彼女がラップと出会って見出した自己表現とは?

“あっこゴリラ”の始まり。

ーまず最初に聞きたいのですが、なぜあっこゴリラという名前なんですか?

もともとドラムをやってたんですけど、ドラムを叩く時に色々イメージして叩く事が多くて。例えば、ジャズのドラミングを渋そうな顔して叩くあの感じ。そうした方がグルーヴ掴めると思うんですよ(笑)。

それで完成した曲のイメージを掴もうと思った時に、これはゴリラで行こうって思って。その時に「あれ待てよ…ゴリラって最強じゃねぇか!?」って思ったんですよね。グルーヴという観点において最強だなと感じたので、自分がドラムを叩く上でゴリラが1つのデカいキーワードになりました。その後ラッパーとしても引き継がれた感じですね。

ーラップを始めた経緯を教えてもらえますか?

バンド時代にワンマンとか長い時間のライヴの時、ずっと同じテンションだと面白くないという事で、一発ぶち上がる瞬間が欲しいと思って、ラップをやり始めました。それがすごく好評で恒例になったんですよね。最初は何も知らなかったから意外といけると思っていました(笑)。今となってはラップって奥が深いと思いますが、当時はノリだけで楽しんでやっていましたね。

ーなるほど。ではドラムを始めたのは何かきっかけがあったのですか?

小学校の時に『天才てれびくん』で8ビート講座みたいなのがあって、それを見て足と手をバラバラに動かすのをやってみたいなと思ったのがきっかけで始めました。菜箸とボールでかなり練習して、それから学校の音楽室のドラムセットで練習して8ビートとフィルはできていましたね。合唱曲にドラムで合わせたりしていました(笑)。

その後、小学校卒業してから全然やらなくなったんですけど、高校の音楽室にドラムがあったので、友達とバンド組んだりしていましたね。

ーその当時影響を受けていたアーティストいますか?

うちは音楽が溢れている家庭だったので、いろんなアーティストを聴いていました。父親が初めてくれたCDがKing Crimsonだったんですよ。あとはThe Beatlesとか。車の中ではジョン・レノンのソロがいつも流れてて……。

ピアノもやっていたから、クラシックも聴いていたんですけど、好みははっきりしてました。ただ、ジャンルは分け隔てなく聴いていましたね。60年代70年代のロックとクラシックとみたいな。それで高校の途中からオルタナティブにハマって、主にNUMBER GIRLなんですけど、向井秀徳さんが大好きで。影響を受けた、というより大好き(笑)。

ーご自身の曲にも「向井さん」という曲がありますけど、どうしてここまで向井さんが好きになったんでしょうか?

初めてイントロのサウンドを聴いた時に「めちゃめちゃかっこいいぞ」と感じて、その後に歌がポンって乗ってきたんですよ。「かっこいい声が来るだろうな」と思ってたらイメージと違くて。その後に歌詞カードに写ってる顔見たらびっくりして。またまた想像とは違かったんです(笑)。

初めて聴いたときは分からなかったんですけど、オルタナティブって歌の上手さとかじゃなくて、個性的な世界だと思うんです 。ちぐはぐ感がバンドの醍醐味だと思っていて。一見違う種類が合わさると、なぜかモンスターになるのがバンドの魅力。その魅力にやられたんだと思います。

HIP-HOPから教えてもらった、自己表現

ー今振り返って子供の頃はどんな性格だったか覚えていますか?

活発だったんじゃないですかね、後は気が強かったです。家族とか大切な人が辛い思いしてたらこっちも泣いちゃうみたいな所はありましたけど、自分のことに関しては結構何されても泣かなかったですね。故に一匹オオカミでした。小学校5年生まで友達いませんでしたね。

ー周りにあまり馴染めなかったんですか?

馴染めないというよりもマイペースだったんですよね。例えば競争で、女子グループのボスではなく私が1番になったりするとグループの子達に酷いこと言われるんですけど、平気だったんですよね。

でもある時にグループのボスが私を仲間に入れてくれて、そしたら周りの子達が急に親しくしてきたんです。その時に社会を知ったような気がしました。“みんなこうやって生きてたんだ!”みたいな(笑)。そこから中学、高校の時は協調性の塊でしたね(笑)。

ー一匹オオカミから協調性を重視した生活に変わって、ストレスが爆発したりしませんでしたか?

それがライヴのステージの上とかだったんですよね。高校生の時にバンドにドラムがいなかったので誘われて入って。きっかけは受け身だったんですけど、初ライヴの時に初めて自分を解放できて、超夢中になっていたからめちゃくちゃにやっていました。人生初めての感覚で凄く楽しくて、それをきっかけにドラムにのめり込んだって感じです。

ーそこにルーツがあったんですね。ではバンド・HAPPY BIRTHDAYの活動のきっかけはなんだったんでしょうか?メジャーが決まった経緯も教えていただければ。

その当時ボアダムスだったりノイズ系の音楽が好きだったんですけど、専門学校でボーカルに出会った時に、見た目からして絶対そんな感じの音楽好きだろなと思って話しかけたら案の定好きで。そこからすごく仲良くなって、バンドを組んで活動を始めました。

メジャーデビューはボーカルがシンガーソングライターとして凄くて注目されていたので、トントンと進みましたね。

ーなるほど。フロントマンへの注目からメジャーデビューとなると、周囲から受ける影響はなかったのですか?

やっぱり結構厳しく言われたりしましたね。そんな状況だったので精神を保つためにドラムだけに集中しようと思って24時間ぶっ続けでスタジオで叩いていた事もあったし、スティックを持って寝てたりしました(笑)。その時はなんでもバンドのためにやっていたので、私の意見はあまり言わずに間に立つことに専念していました。

でもずっとそこにいると言いたいこと言えなくなっちゃって。そのストレスを発散させるために元々パフォーマンスとしてやっていたラップを、誰にも聞かせる目的もなく、簡単なトラックを作って、それに乗せて愚痴をラップしていて。そしたらめっちゃ楽しくて(笑)。

ー周囲の声は時に残酷ですよね。ネガティブな気持ちにドラムやラップで立ち向かってったわけですね。

私の事をお客さんがわかってくれれば、チームに認められるだろうと思って。ラップをしてから私の存在をわかってくれるよう感じて、やっと内側が出せたというか、自分の居場所をつくることができたんです。でも最終的にはバンド内で折り合いがつかなくなっちゃって、解散しました。

ーそれからラップの世界に入ろうと思ったのはどうしてだったのですか?

全然入ろうという意識はなかったんです。解散前にバンドが活動できなかった時があったんですが、バンドの存在を忘れさせない為に、事務所から誘われてソロのライヴをやることになって。その時にラップで曲を作ったんですよ、それが始まりですね。あとはバンド時代は完全に音楽の才能ないキャラだったんで、自分でもそう思い込んでバンドの宣伝だったりそんな自分を嘲笑うような内容しかラップをしていなかったんです。

思い込みって怖いなって思いますよね(笑)。 自分が自由になりたがる理由は、思い込みやすくて刷り込みからすぐ影響を受けて気にしすぎる、自由とは対極の人間だからだと思います。だから自由への欲望が凄く強いんですよね。音楽に対する原動力は完全にそこなんです。

バンドが解散した後は当然ライブの誘いなどあるはずもなくて。完全に0からのスタートだったんですけど、その時に気にかけてくれる人が何人か居たんです。その内の1人のおかげで色々な小さいライヴとかに出るようになりました。誘われたらどんな現場でも、例えギャラがなくても行って月に20本くらいライヴしてました。キャバクラでもライヴしたことありますよ(笑)。

ー20本となると相当なハードワークだと思いますが。

何も無くなっちゃってから底知れぬパワーが湧き出てきてしまったんでしょうね。しかもバイトは絶対やらないって決めていたので物販の収益で生活してました。

そんな事をやってるうちに、ある時<罵倒>というMCバトルに誘われて、私は当時MCバトルの存在すら知らなくて、その場で速攻エントリーしました。、その後、初めてYouTubeで見たのが呂布カルマSIMON JAPのバチバチの試合で(笑)。想像よりも何倍も怖くて行きたくないけど棄権しちゃいけないと思って、泣きながら這うようにして行きました(笑)。

でもいざステージに上がったらスイッチ入ってカマせちゃったんですよね。それで<戦極MCバトル>とかにも誘われて、知名度も上がって、自主アルバムを出してって流れです。

ーそもそもラップをストレスのはけ口としてやっていたものが、MCバトルからラップの世界に入り込んでいく事で、公の場でラップをする事になった訳ですけど、そこでも同じような開放感は得られるんですか?

はじめてのバトルの時に、今までは協調性の塊になってしまって、コミュニケーションがうまくとれなくなってたんだって気づいたんです。それをバトルを通して自分の中で荒療治してる感覚があって。きちんと人と会話をする、自分の生き方、スタイルを主張する場なので、“自分はこうなんだよ!”って言うこと自体が、その時の私にとっては開放感を感じられるものでした。

ーHIP-HOPの世界で影響を受けた方とかはいますか?

HIP-HOPだと、海外、特にL.Aの自由なスタイルに凄く影響を受けましたね。最初Tyler, the Creatorが好きで、Chance The Rapperは大好きだし、AmineVic MensaM.I.Aとか大好きです。L.Aの自由なフリーなスタイルとリズムという観点においてめちゃめちゃ刺激を貰っています。シリアスにやるよりもリズミカルにグルーヴィーにやってる人達の方が好きです。

日本人に関して言うと、これは凄く意外だと思われるんですけど、影響っていうよりも本気でやばいと思ったのが漢a.k.aGAMIさん、D.Oさん、TOKONA-Xさんです。もう漫画みたいですよね。彼らは生きていく中どちらかに進まなきゃならない時に、HIP-HOPを基準にして生きている人達だと思うんですよ。怖いし、ポップだし、そしてドープだしみたいな。立っているだけでエンターテイメントみたいな。あの感じって凄くHIP-HOPだなって思っていて。

生き方をそうやってメイクしている人が好きで、影響を受けている。私に関しては”私にとってのHIP-HOPかそうじゃないか”っていうところが基準なので、一般論とはズレはあるのでしょうけど。

ー日本のHIP-HOP界隈ってやっぱり男性が多いと思うんですけど、フィメールラッパーとしての視点から見て何か思うことはありますか?

最初にMCバトルに出て思ったのが女という事を言われまくるということで。“男女関係ねぇ”とかめっちゃ言われるし(笑)。でも私としてはそれをヒステリックにしたくなくって、カラっとやりたいなという思いがありました。MCバトルを始めて、最初の段階はうまくラップできないから伝わらない事が多くて悔しい思いもしましたけど、曲で明るく提示できたらいいなと思っています。

新作から見えたあっこゴリラとして目指す方向性

ー今回、11月8日(水)リリースのEPですが、様々なアーティストとのコラボが目立ちました。それは意図的だったんですか?

そうですね、意図的です。2016年までは自分でビートを作るところから始めていました。デモを自分で作って、それをアレンジしてもらって曲にしていたんですが、2017年から自分が好きなプレイヤーにコンセプトを伝えて、基本的にはお任せしていましたね。自分以外の人が作ったビートに乗っかるのが苦手だったので、あえてそれをすることで、自分を鍛えたかったんです。

ー今回のEPの収録曲を聴いた時に、コラボしてる人の色が濃く出てる曲が多いなと感じました。そんな意図があったから、そう聴こえたのかもしれません。

正にそうだと思います。その人とコラボするからにはその人の色が欲しい訳ですよ。仮にその人に”あっこゴリラ寄りにジャングルっぽくしました!”とか言われちゃうとそれは違うなって。それは前回のコンセプトだから、私に寄らないでその人の色が欲しかったんです。

ーそれを踏まえて今回の『GREEN QUEEN』というEPはどんな仕上がりになりましたか?

よく自分が言うのはそれぞれの曲の個性が違いすぎるから、アカレンジャー、アオレンジャー、キレンジャーみたいな感じで、曲単位が戦隊ヒーローみたいだなと思うんです。でもそれらがあまりにもバラバラすぎるから、まとめる曲を作りたくって「GREEN QUEEN」を作ったんですよ。

スターウォーズみたいな、一章、二章、最終章っていう章立ての曲作りが好きなんですよね。今回も「黄熱病」「PETENSHI」「ウルトラジェンダー」からの「GREEN QUEEN」って、勝手に自分の中でスターウォーズ化していました。

ー今回の作品で特に印象に残ってる曲があれば教えてください。

「ウルトラジェンダー」ですね。さっきフィメールラッパーの話をしましたけど、性別の話を言われちゃう現状を上手くアンサーしたかったんです。男も女も、大人も子供も、貧乏もリッチも関係なく自由に生きれたら良いなと思って作りました。この曲のお陰でやる事がはっきりした感じがして、これから自分は窮屈になってる人の希望になれたらいいなと思いますね。

ーこれからのラッパーとしての展望とか野望はありますか?

子育てラップとかちょーしたいんですよ!子供を産んでもバリバリやりたいですね。ストーリーになるし、妊婦とかに対する曲解された見方とかも、クールにかっこよくかわせると思ってます。自分自身が自由になりたいっていうのが願望なんですけどね(笑)。

自分の人生において出来ることは何でもやりたいんです。私自身、思い込みや刷り込みでがんじがらめになっていたから、“色んな自由の形を提示していけるラッパー”になりたいと思ってます。皆んなが抱えてる生きづらさやキツさ、苦しさを解放するきっかけになりたいです。だからこそ、そういう表現をどんどんしていきたいですね。

ー最後に2018年の意気込みを教えてください。

まだ言えないんですけど、2018年は結構大きな動きがあるんですよ。その重大発表も12月のワンマンですると思うので、是非来て欲しいです。

Photo by 神岡真拓

PLAYLIST

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ヨシヤアツキ
Writer: ヨシヤアツキ
情熱あまりがちです。
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韓国のソウル生まれ東京育ちというバックグランドを持つYonYon。DJ、プロモーター、トラックメーカー、シンガ