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文: 高木 望 編:Miku Jimbo
2025年1月29日、オーストラリア生まれのシンガーソングライター・SATSUKIによる最新デジタルシングル「Stars In The City」がリリースされた。The Burning Deadwoodsをプロデューサーに迎え、すれ違いによる失恋や心の葛藤をR&B調のサウンドで表現した当曲。今までハイパーポップやニューメタルなど、さまざまなトラックに挑戦してきたSATSUKIが、新たな一面を見せてくれる一曲に仕上がった。
オーストラリア在住時代から曲づくりを始め、日本へ活動拠点を移したのは2018年。その後、セクシーな声と言語表現、そしてさまざまなジャンルの音楽を調合するバランス感覚の素晴らしさでリスナーを魅了。台湾最大級のロックフェス<大港開唱MEGAPORT FESTIVAL>に出演するなど世界でも注目されつつあるSATSUKIは、一体どのように自身の感性を磨いてきたのだろうか。今回はその半生のエピソードから、音楽制作との向き合い方に至るまで、話を伺った。
ーSATSUKIさんは過去のインタビューでParamore(パラモア)が好きとおっしゃっていましたよね。Paramoreの音楽に出会う前は、どんな音楽を聴いていたんですか?
Eminem(エミネム)が好きで、CDをたくさん持っていました。あとはBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)も。音楽の好きな一家に生まれ育ったので、音楽に囲まれながら育ちました。
父はDeep Purple(ディープ・パープル)やKISS(キッス)が好きでしたし、母と姉は男性アイドルやSPEED、安室奈美恵さんのようなJ‐POPアーティストが好きで、常に音楽が流れているような家で育ちましたね。
ーでは、Paramoreを好きになったのは?
私が14歳くらいのときです。ファンクラブに入るほど彼らのことが好きになり、当時住んでいたシドニーでのライブにも行きました。実は1回会ったこともあるんですよ。まだ5人体制だった頃、彼らと直接話ができる企画に当選したんです。
ーすごい! そのときはどんな話をしたんですか?
曲の歌詞の意味について聞きました。特にParamoreの1stアルバム『All We Know Is Falling』は神様のことについて歌っているのに、自分にはラブソングのように聴こえて。こんなに美しい表現のアイディアをどのように作り出しているのか、気になっていたんです。実際に話せたのはほんの1分足らずだったのですが、あまりにオーラがすごくて。終わったあと、ポカーンとしちゃいましたね。彼女らの影響で、ポップパンクは今でも大好きです。
その後、17歳くらいのときに友達からオーストラリアのバンドを教えてもらったことがきっかけで、インディーズバンドをたくさん聴くようになりました。18歳以下でも入場できるようなイベントへ足繁く通うようになって。ライブを観てはサポートのバンドをチェックして…と、数珠つなぎにいろんなバンドを知っていき、バンドサウンドにどんどんのめり込んでいきました。
ーParamoreに投げかけた質問の内容が、歌や曲を作る人の目線のように感じました。音楽をやるようになったのはいつからですか?
自発的に楽器を手に取ったのは、13〜14歳くらいです。ポップスを自分で演奏して歌いたくなったので、エレキギターを買ってもらったのがきっかけです。
それまでもピアノやチェロを習っていたのですが、クラシックはあまり自分にしっくりこなくて(笑)。独学で練習し、確か初めて演奏した弾き語りはKaty Perry(ケイティ・ペリー)やMichael Bublé(マイケル・ブーブレ)だった記憶があります。
ー自分で音楽を作るようになったのはいつ頃からですか?
エレキギターを始めて間もない15〜16歳くらいのときには作り始めていました。
ー当時はどんな曲を作っていたんですか?
Jason Mraz(ジェイソン・ムラーズ)やPanic! at the Disco(パニック!アット・ザ・ディスコ)の影響が色濃い音楽を作っていましたね。歌の中身は友達のことだったり、初めて恋をしたときのことだったり。(10代半ばは)本当に多感な時期じゃないですか(笑)。「人生、これが最後だ!」みたいに感情が盛り上がる瞬間が多くて、エモーショナルになるたびに曲を書いていました。
今、当時作った曲を聴き返すと「正直だなあ」と感じます(笑)。今はもうちょっとクールになったかもしれません。
ー表に立って演奏をするようになったのはいつからですか?
16〜17歳のときです。高校卒業後に友達とバンドを組み、ストリートライブを始めました。
大学進学や就職を選ぶ友達が周りに多いなか、当時の私は大学に行く意味がいまいち見出せなくて。海外で社会経験を積みながら進路を考えるギャップ・イヤー制度などもあったのですが、何となく興味が湧きませんでした。
そんな私に、友達が「一緒にストリートをやろうぜ」と声をかけてくれて。それがライブデビューの発端です。シドニーでは路上のスペースを利用するハードルが低く、お金を払ってライセンスを取得すれば、誰でもストリートライブができる環境でした。
ーライブはどれくらいの頻度でしていたんですか?
週に1〜2回ですね。結構稼げました(笑)。日本のドン・キホーテで買ったキャッチーな着ぐるみを身につけて演奏したりして。その間にテレビ局のプロデューサーから声をかけられ、テレビに出演したりもしました。おかげでシングルも何曲かリリースできたんですよ。
ーまさにシンデレラストーリーのようなエピソードですね。
結局3〜4年活動して、メンバーの1人が結婚したことを機に解散しちゃったんですけどね。でも、その頃から「私には音楽の道しかない」と考えるようになりました。それでパフォーマンスの勉強ができる音楽大学に進学し、コンテンポラリーを中心とした音楽理論やジャンル、ボイトレの方法などもちゃんと勉強して。
「Afterglow」も在学中、ソングライティングの授業で作った曲です。聴き返すと今よりもっとストレートで、自分の感情が如実に歌詞に表れている気がします。
ー先ほども過去と現在の楽曲を比較して「今のほうがクールになった」とおっしゃっていましたが、当時との明確な違いは何だと思いますか?
うーん……私は恋人との別れなど、人とのつながりが途絶えてしまった瞬間に、想いが溢れるタイプなんです。だから悲しい“終わり”が訪れるたびに、その感情のまま歌詞を書き連ねることが多かったです。
2018年にリリースした「Roseville Girls」も、自分の経験をもとにしているから、ストレートに怒りを表現しています(笑)。普段プライベートでも怒ることは少ないのですが、この曲だけは吠えてますね。
ただ、最近はプライベートが穏やかで、自分のことよりも周囲の友人のストーリーで想いが溢れることが多くて。自分自身のエピソードではないからこそ、映画のように自分でシーンを思い描きながら曲を作っているんです。
俯瞰できるようになったからこそ、クールになった。あるいは大人になって、感情を出すことに恥ずかしさを覚えるようになったのかもしれません(笑)。
ーお話を伺っていると、オーストラリアを拠点にしたままでも十分に活動できたのでは、と感じました。大学卒業後、2018年に日本へ渡った理由は何だったのでしょうか?
大学在学中に日本へ興味を持ったんです。それ以前も、祖父母も仙台に住んでいるし、母が大阪の人なので、東京・大阪・仙台は何度か行っていました。住むイメージはなかったのですが、ふと「日本でライブをして、音楽活動にチャレンジしてみたい」と思うようになって。母の地元である大阪で暮らし始めました。
ー活動するにあたり、出演するライブハウスのアテなどがあったんですか?
日本で音楽活動をしている友達がいなかったので、最初は大変でしたね…。日本でストリートライブをやりたかったのですが、どこに何を申請すれば良いかもわからなくて。制作面ではリモートでオーストラリアの友達に助けられていたものの、ボーカルのレコーディング場所すら知らなかったです。文字通り、右も左もわからないような状況でした。
ただ、母の知り合いでスパニッシュダンスを習っている人がいたんですよ。その人が通うレッスンの先生が、B.SQUARE(※梅田・中崎町のライブハウス)で定期的に異種混合のイベントを開催していたんです。ビートボックスやダンス、フラフープなどのプレイヤーが出演するなか、「歌う人」枠として声をかけられました。それが、日本でのライブハウスデビューです。
ーそれは、日本に来てからどれくらい経った頃に誘われたんですか?
2018年1月に日本に来て、4月に初ライブをしました。弾き語りで参加したものの「果たして自分のオリジナル曲がイベントのバイブスにマッチするのか…?」と、不安を感じながらステージに立った記憶があります(笑)。ただそれ以降、イベントには何回も出してもらえるようになりました。
ーその後、日本での活動に転機が訪れたのは?
2018年11月に<MUSIC BUSKER IN UMEKITA>で合格したことです。そこから音楽関係の出会いが広がり、いろんなライブハウスに出演できるようになりました。
また、オーストラリアを拠点に活動するTaka Perry(タカ・ペリー)さんにプロデュースを依頼し、2020年にメールでのやり取りを経て「Zoning Out」をリリースしたことも大きかったです。
ーTakaさんとの出会いのきっかけは?
遡るとオーストラリアにいたとき、ラジオで偶然彼の楽曲を耳にしたことがきっかけになります。歌詞に日本語を使っていたのがとても印象的で「こういうプロデューサーがいるんだ」と興味を持ちました。
その後、自分の方向性を見定めるなかで“日本語を用いながらも海外の音楽シーンのエッセンスを取り込むこと”に注力したいと思うようになって。まさにTakaさんのバランスの良さは、自分の求めるテイストとマッチすると感じました。
ーTakaさんとはその後、2024年にEP『so, yeah』でも一緒に楽曲を制作されていましたよね。さまざまなジャンルを横断した、聴きごたえのあるEPだと思いました。
好きなジャンルが限定されていないので、いろんな曲を作っていった結果、ニューメタルからラップまでが詰め込まれたEPが完成しました(笑)。EPを制作しようと思ったとき、曲のセレクトや流れも相談したんです。彼のプロダクションのおかげで、まとまりが生まれました。
ーSATSUKIさん自身が曲を作るときの起点は、「こういうジャンルの曲を作りたい」という考えから始まることが多いですか?
ジャンル、というよりも「こういうグルーヴを持った曲を作りたい」という好奇心から始まることが多いです。そのノリがメロディを起点に組み立てられることもあれば、曲全体の展開や音の感触を軸にふくれあがることもあります。
ただ、メロディと歌詞はバラバラに作っています。作詞は日々感じたことを文章で書き残し、ストックしておくんです。メロディが書き上がったあと、自分のアーカイブのなかからマッチしそうなテーマを拾い上げ、ハマるフレーズをメロディに乗せていきます。
そしてそのときに自分の中でマッチする何かがあったときは、仮にアップビートな曲が上がったとしても「別れの曲」や「人生のつらさ」を表現することはありますね。
ー言葉の選び方についても興味があります。最新シングルの「Stars In The City」も、英語と日本語をミックスしていることが楽曲のグルーヴに作用していますが、言語のバランスはどのように捉えていますか?
まず、言葉のリズム感は重視しています。たとえば「Stars In The City」のAメロなんかは、英語のほうがリズムとマッチすると感じました。逆に「日本語のフレーズのほうがメロディと合うな」と感じたら日本語を使う、みたいな棲み分けをすることはあります。
ただ、歌詞のニュアンスで言語を切り替えることもあります。英語で歌詞を書くときはアーティスティックな表現をすることが多いのですが、日本語はストレートに使わないと、意味を伝えきれないというか。日本語で歌詞を書くことは、自分にとって新たなアドベンチャーを体験しているような感覚。自分の伝えたいニュアンスを描写できる言語を選ぶことで、バランスをとっている気がします。
ーそのうえで「Stars In The City」ではThe Burning Deadwoodsをプロデューサーとして迎えたことで、新たなグルーヴづくりにも挑戦できたのではと思いました。
オーストラリアで制作していたときは、良くも悪くもバイブスで乗り切っていたところもあったので(笑)、すごく丁寧に音作りと向き合ってくださった印象がありました。
ーでは、The Burning Deadwoodsをプロデューサーに迎えた経緯は?
音楽活動をしていく中で音楽関係者の方と知り合う機会も増え、デモ音源を聴いてもらった際にThe Burning Deadwoodsさんを紹介していただきました。
日本のプロデューサーと仕事をするのは初めてだったので、正直、日本人の制作やコミュニケーションの仕方に慣れるのに少し時間がかかりましたが、The Burning Deadwoodsさんはとても丁寧で、曲をどう進めていけばいいのかわからなかったときでも、SATSUKIのビジョンをすぐに理解してくれました。
ー日本のプロデューサーとの作業を経て、何か変化はありましたか?
The Burning Deadwoodsに限らず、日本のアーティストやプロデューサーは音に対する解像度が高い。ギターのディストーションひとつをとっても、細部まで突き詰めるような制作を経験したことで、シンプルに自分の音楽の聴き方も変わった気がします。
「なんでこのドラムビートはこんなにグルーヴィなんだろう」って、細かな部分まで感じ取るようになったので、今後の制作にも大きな変化が生まれそうです。
ー現在、オーストラリアから日本に活動拠点を移し8年目となります。改めて、日本で活動を続けることで見えた大きな発見や、ご自身の中に生じた変化があれば教えてください。
まずは、ライブハウスの風景に慣れるまでに時間がかかりました(笑)。オーストラリアでは、ライブの曲間にお客さんもワイワイ喋るんですよ。でも日本ではバンドのチューニング音すら聴こえてくるほど、MC中に誰も話さない! ライブを始めた頃は焦りすぎて、なんとか静けさをMCで埋めようとしていました。
ただライブハウスの人に「別にMCを無理してやらなくてええんちゃう?」と言われ、自分の中でも「そういうものなんだ」と吹っ切れたというか。マインドを切り替えていけるようにはなりましたね。
ー先ほど「音楽の聴き方が変わった」とおっしゃっていましたが、日本の音楽シーンに対する捉え方の変化などはありましたか?
Perfumeさんや宇多田ヒカルさんはずっと聴いているし、オーストラリアにいるときからJ-POPには触れていたので、音楽のジャンルや技術に対して「思ってたのと全然違う!」なんてことはありませんでした。ただ、もっと「日本の音楽って何だろう?」と考えるようになったのは大きな変化だと思います。
J-POPってすごく面白いんです。「J-POP」という括りの中でも、たとえばYOASOBIさんと椎名林檎さんのジャンルは違うじゃないですか。ジャズからエレクトロニック、EDMなど、さまざまな音楽がカテゴリの中で共存していて、一概に「このジャンルやこのリズムの要素が入っていればJ-POP」と定義できない難しさがある。
だから自分が曲づくりをするときも、さまざまな要素を複合的に吸収しアウトプットを作り出す手法は、これからも挑戦していきたい。クールさやスタイリッシュさを突き詰めて、自分のアーティスト像の解像度を高めながらも、どんどん新しい融合を試していければと思います。
RELEASE INFORMATION
New Single『Stars In The City』
2025年1月29日(水)リリース
〈early Reflection〉外部リンク
early Reflection
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