音楽に物語性と社会への反骨精神をこめて。マルチクリエーター・離想宮が目指す新たなアートが生まれる場|early Reflection

Interview
ポニーキャニオンとDIGLE MAGAZINEが新世代アーティストを発掘・サポートするプロジェクト『early Reflection』。2024年12月度ピックアップアーティストとして、離想宮が登場。

親しみやすいメロディの中にそこはかとなく漂う不気味さ、日常で隠してしまいがちな感情をえぐり出す歌詞。曲ごとに異なるジャンルを展開しつつも、一貫して“怖いもの見たさ”という人間の原初的な欲求に訴えてくるのが、離想宮が生み出す音楽だ。

2020年に活動を開始した離想宮は、作詞/作曲/編曲/歌唱はもちろん、ミュージックビデオのアニメーション制作やジャケットデザインなど、そのすべてを自身で手掛けるマルチクリエーター。「闇のみんなのうた」というキャッチコピーは前述した音楽性を見事に言い表している。

アーティスト名は、フランス文化遺産“シュヴァルの理想宮”に由来する。郵便屋の男性が仕事をしながら33年かけて作り上げた建物で、そこに会社員として働く自身の姿を重ねた。今はまだ理想を実現できていないため“離想”となっているが、「働きながら理想の音楽をやりたい」という想いが込められている。

また、離想宮は紐解いていくほど興味をそそられるバックボーンを持つ。東京の音楽大学に通い作曲家を志していたものの、大きな挫折を経験し帰郷。音楽とは無関係の仕事をしていた離想宮を音楽活動に駆り立てたのは“夢敗れし元競走馬”だという。取材時には言葉の端々から映画や小説、ゲームなどへの愛を感じさせたが、そういった知識もその歌詞世界を形作っているのだろう。

今回のオンラインインタビューでは、そんなルーツや最新曲「アンタと同じ地獄に堕ちようか」について、そしてキャリアを語るに欠かせないお笑い芸人・滝音との出会いなど、約5年の活動について話を聞いた。

夢敗れし馬を見て「こいつは自分だ」――作曲家としての挫折と歌い始めた理由

ー音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

3歳ぐらいでピアノを始めたんですけど、音楽に興味があるというよりも、幼稚園でみんなが音楽をやっていて「私もやってみたいな」という感じで教室に通いました。でもめちゃくちゃ練習が嫌いで、とにかく練習から逃げ回る日々で(笑)。5歳ぐらいのときに楽譜の書き方を教わったので、自分で曲を作ってみたんです。

ー5歳で!?

はい。本当に忘れもしない、「ネズミの尻尾は長いよ」という曲。ドミソドミソドミソ…みたいな簡単な曲でしたけど、めちゃくちゃ褒められたから「自分で曲を書けば練習しなくていいじゃん」っていうズルいことに気が付きました(笑)。練習は嫌いなままだったけど、そこからずっと作曲をしてましたね。先生が褒めてくれた経験がなかったら、私はたぶん今ここにいないと思います。

ーそこからずっとピアノを弾いて作曲をやり続けているんですか?

そうですね。ずっと軽音楽じゃなくてクラシックを弾いていました。5歳で初めて作曲をしたあと、ジブリ映画を観て「曲がいいな」と思って。そうしたら母が「これは久石譲って人が作ってるんだよ」と教えてくれて、久石さんに憧れるようになりました。小さい頃って七夕の短冊に「仮面ライダーになりたい」とかみんな書くじゃないですか。私は「久石譲になりたい」って書いてて(笑)。

ー(笑)。

そこから「作曲家っていう職業があるんだ。私も久石譲さんみたいな音楽が作れたらいいな」と思って、ずっと作曲をやってきていますね。その後は『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を作ったすぎやまこういちさんに憧れて「映画やアニメ、ゲームの音楽を作る人になろう」っていう想いで、作曲したり勉強したりしました。映画も「作曲家になりたい」っていう一心で観てきましたし、たとえば『スター・ウォーズ』を観て「John Williams(ジョン・ウィリアムズ)はこういうときにこういう音を鳴らすんだ」とか、そういうことをやってきましたね。

ーでは、ルーツというと久石さんとすぎやまさん?

そうですね。あとは『ルパン三世』シリーズの音楽を作っている大野雄二さんとか、その後はラテンや民族音楽が好きになって、Ástor Piazzolla(アストル・ピアソラ)っていうタンゴの作曲家にも影響を受けました。それと、ボサノバのAntonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)とかですね。そういうワールドミュージック的なものが好きだったりもします。

ー今挙げていただいたルーツはボーカルレスの音楽が多いですが、「自分も歌おう」と思ったきっかけは何かあったんですか?

歌おうと思ったのは、離想宮の活動を始めたのがきっかけで。劇伴を作るという夢を掲げて頑張ってきて、東京で音大の作曲科に通っていたんですけど、就活で夢だったゲーム会社の最終試験に落ちまして、「人生終わった」という気持ちになってしまったんです。夢がもうちょっとで叶いそうなところで一気に何もなくなっちゃったから。

ーゲーム会社なんて狭き門でしょうし、最終試験まで行ったのはすごいですよ。

今では(最終試験まで進んだ経験を)自信にして他の会社も受ければよかったって思うんですけど、当時はそんなこと思えなくなっちゃって。「もう音楽やめよう」って、茫然自失として地元の群馬に帰ってきてました。音楽はやらずに別の仕事をしてたんですけど、いろんなものを見たり経験したりする中で、やっぱり自分は音楽をやったほうがいいんじゃないかって思ったんです。それで、今までやってなかったタイプの音楽をやろうって。音楽だけでももちろんパワーはあるけど、そこに自分の考えや思想を乗せようと思い、歌付きの曲を作りましたね。自分の生きた証じゃないですけれども、口から出る言葉を歌として出してみるのも面白いかなって。

ー「音楽をやったほうがいい」と思ったのはどうして?

職場の近くに乗馬できる施設があったので、休日によく行ってて。その馬たちって基本的に競馬で走れなかった馬らしいんです。「お前は日本ダービーに出るんだよ、頑張るんだよ」と育てられ、競走馬としてデビューしたけど、結局いい成績を残せずに終わった馬たち。本当なら屠殺されるかもしれないところを「お前は性格がいいから乗用馬になりな」って各地の乗馬クラブに来る、夢敗れし馬たちなんですよね。そいつらが頑張って私の体重を支えて、私が出す下手くそな指示に従いながらハードルを「よいしょ」と飛び越えようとしているところを見たら――映画『七人の侍』じゃないけど、「こいつは俺だ」と思って(※登場人物が孤児となった赤子に自分を重ねて「こいつは俺だ」と号泣するシーンがある)。期待された馬生(うませい)とは違うけど、馬たちは地域の人たちに希望を与えて、人間の人生に貢献している。その姿を見て、「私も自分なりに何かできるかな」って。やっぱり自分が人のためにできることは音楽しかないなって思ったんですよ。

でも、劇伴って誰かの作品がないと作れないじゃないですか。自分ひとりで何かをやるとしたら、自分で語ってそれを完結させて、その作品を誰かに面白がってもらえるのがいいかなと。それが離想宮の活動のルーツですね。

ーでは、曲を作るときは物語を作るようなイメージですか?

そうですね。私の曲って、全部聴くと悪く言えばとっ散らかってるというか、まだ一貫性がないように思うんですけど、その中で物語性はすごく意識していて。もともと自分がストーリーがあるものが好きで、それこそ劇伴に憧れていたのも映画やアニメ、漫画、ゲームが好きだからで。だからそういったものを曲の中で表現できたら面白いなと。自分が好きなものたちを集めて、自分のお城というか、シュヴァルのように“理想宮”として寄り集めたものが、離想宮という活動ですね。

ーそして2020年に活動をスタートし、「残響」を発表これまで発表した楽曲を聴いたりMVを観たりすると「闇のみんなのうた」というキャッチコピーは言い得て妙だなと思いました。

最初はMVも自分で作ろうとは考えてなかったんです。でも、できた曲をYouTubeにアップしようと思ったときに、自分が10代とかの若い視聴者だったらまず目から曲が入ってくるだろうなと思って、それならアニメっぽいものを作ろうと、なんとなく作り始めました。私はNHK教育テレビも好きなんですけど、『みんなのうた』ってたまに怖い曲があるじゃないですか。

ーたしかに。そういう怖い曲のほうが記憶に残っていたりしますよね。

特に私が子供のときに聴いてたのって、完全なポップスというよりも、ちょっとクラシック感があったなって。自分の曲もバリバリの今風サウンドじゃないけど、どこか心に残って面白げで、しかも変なアニメがついてて、それが可愛らしいだけじゃなくて毒がある。そんな作風を例えようかなって思ったときに「闇のみんなのうた」がしっくり来たので、キャッチコピーとして打ち出したところがありますね。

ーアニメーション制作は活動を始める前から経験があったんですか?

実は「残響」のMVで初めてアニメを描いたんですよ。ただ、昔からディズニーのアニメーターが好きで、リチャード・ウィリアムズさんが出した『アニメーターズサバイバルキット』っていう厚い本を持ってて。アニメを描く気はなかったけど、映画『ロジャー・ラビット』が好きすぎて、ファンブックみたいなイメージでその本を持ってたんですよね。それを読んだのは大きかったかもしれないです。

ーそれで作れちゃうのがすごい(笑)。MVは手描きなんですか?

そうですね。最初は手探りだったので、ノートにパラパラ漫画みたいなのを描いて、スキャンして(PCで)色を塗って。色の塗り方も最初はわからなかったので、「残響」のMVを見るとベタ塗りなんですよ(笑)。最近は「それではいかんな」と思って、iPadを使ったりいろいろ模索してます。

ー離想宮さんといえば、お笑いコンビの滝音やムームー大陸が出囃子に曲を使っていたり、芸人さんに楽曲提供したりしていますよね。どういったきっかけがあったのでしょうか?

これはもうビックリだったんですが、滝音のさすけさんから突然Twitter(現・X)にDMが来て。最初は詐欺だと思ったんです(笑)。でも、DMが来る1週間前くらいにさすけさんからフォローされて、YouTubeに上がってるコント動画を見たら面白いし「すごい人からフォローされた!やったー」と思ってて。

DMの内容としては「今度初の単独公演をやるので、曲を使わせてくれませんか?」という話で。あまりにも信じられなくて「本当にこの人がDMを送っているのか?」と、1時間ぐらい調べちゃいました(笑)。それで滝音の初単独(2022年)のオープニング曲を書かせていただいて、あとはコントとコントの間のBGMを既存曲から使っていただいて、ご縁が始まりました。

ーなるほど。

で、次の年の全国ツアーで「歌モノで滝音のテーマ曲を作ってほしい」と言われて。劇伴ではないですけど、夢だった“誰かが作ったものに曲を提供すること”が実現できて、しかもその舞台が世界観をちゃんと持ってらっしゃる方たちで、かなり人気もあるお笑い芸人だから嬉しくて。滝音の世界観を音楽で表現できたのは楽しかったです。そのとき作らせてもらった「タキオニック!」は「滝音のイメージはこれだ!」と思って、今まで書いたことのないロックンロールの曲にしたんですけど、本当にいい経験になりました。

社会のニュースに傷ついている人を元気にしてあげたい

ー普段、楽曲はどのように作っていますか?

一人暮らしをしていると、めちゃくちゃ独り言を言うんです。すっごいブツブツ言ってるんですけど(笑)、時々パンチラインが出てくることがあって、それを溜めておくという。それをしつつ、お風呂や街中で「これだ!」というメロディが降りてきた瞬間にスマホのボイスメモに録っておきます。で、溜めておいた“閃き”を使って、打ち込みのソフトで曲作りをするという流れですね。

ー鼻歌の段階で歌詞が出てくることもありますか?

そういうときもあります。鼻歌を歌いつつ「このリズムならこの言葉がいいんじゃないか」みたいなのがパッと出てきたり。そういったときは、その言葉に続くような歌詞を膨大な独り言メモ帳から取ってきます。だから、普段自分が思ってることをパズルみたいな感じで組み合わせていますね。それにフィクション性や物語性をちょっと足してみて。

ーフィクション性のインスピレーション源はどんなものがありますか?

本や映画、漫画、ゲーム、芝居、日常生活、いろいろですね。小さい頃から本を読むのが大好きなので、そこから入ってくるものも多いと思います。たとえば登場人物の心情を描いた文章を読んで「私が主人公ならこの心情はどういうふうに言うだろう」とか自分の中で噛み砕いたり、「この気持ちは私もあのとき思ったことがあるな」とか。そういうアイデアを曲にしてるので、物語性があるのかなと。

ー活動開始から約5年、働きながらコンスタントに曲を発表していますが、そのモチベーションはどこにあるのでしょうか?

聴いてくれる人がいるというのが第一かなって思います。しかもだんだん聴いてくれる人や仕事を依頼してくれる人が増えていて。それから作れる曲もだんだんレベルアップしている実感もあって「今ならああいう表現もできるな」って思うことが増えてきてるんです。

離想宮を始める前から音楽はやっているわけですが、音楽というものは、いい意味で言うと自分の人生の根幹であり、悪く捉えると呪いとも言えるようなもので。できることが多くなると「今の時代ならこれを言いたい」っていうアイデアも増えてくるんです。たとえばXで議論になっていることに対して「私はこう言いたい!」と思うことってあるじゃないですか。それが毎日あるから、ニュースとかで社会情勢が変わっていくのを見ることも、インスピレーション源のひとつなんだと思います。「今この社会に対して、私はこういうことを発信したい」という気持ちは、社会がワーワーやっているうちは自分の中に変わらずあり続けるので、それで5年間コンスタントにやってこられたんだと思います。

ー今の話、とても腑に落ちました。社会への怒りって表現すると乱暴になってしまいますが、離想宮さんの音楽にはそういう部分を感じたんですよね。

反骨精神はあると思います。自分がボーカルの曲を書き始めたときに、先人から学ぼうと思って海外のロックやヒップホップの表現をインプットしたんです。自分の音楽性からしたら意外だと思われるかもしれないですが、ヒップホップはすごく大好きで、活動を始めるときにヒップホップをやるかポップスをやるか迷って、結局ポップのほうを選んだんですよね。

海外のヒップホップ・カルチャーは「日本でやったら絶対認められないだろう」という過激な歌詞もあるし、体制について思っていることをどんどん言うじゃないですか。そういったものを聴いて「音楽ならできるんだ」っていう学びがありました。自分のまわりには人生に悩んでいたり社会のニュースに対して傷ついている子も多いので、私も音楽をやるならそういう人たちを元気にしてあげたいという想いがあって。私がよく言うのは「聴く」というよりも「一緒に歌って元気になってほしい」。「何くそ!」みたいな気持ちで一緒に歌って元気になってほしいと思って曲を書いてるので、そういうのが伝わってくれているのなら、すごく嬉しいなって思います。

ーちなみに、ヒップホップではどういったアーティストを聴いていましたか?

文化として聴いているところがあるので、有名どころばかりで月並みになっちゃうんですけど、Die Antwoord(ダイ・アントワード)とか、Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)、Nicki Minaj(ニッキー・ミナージュ)、N.W.A.みたいなギャングスタラップとか、あとEminem(エミネム)もよく聴くし。日本語ラップに関しては思想すべてに影響を受けているわけではないんですけど、舐達麻さんやBAD HOPさん、Awichさんとか。ヒップホップに詳しい友人が教えてくれた志人sibitt)さんはヒップホップだけど民族音楽調のものもあって、そういう世界観も面白いなって。そうやっていろいろ聴いてましたね。

リスナーと新しい文化を作っていけるイベントをやりたい

ー新曲「アンタと同じ地獄に堕ちようか」は、これまでの曲の中でも特にキャッチーなナンバーです。「鵙の早贄」など民族音楽への回帰を感じつつも、サウンドは華やかになっていて、より広いリスナーに刺さりそうです。

ありがとうございます。作曲の技術も上がって、「鵙の早贄」を書いた当時はまだ作れなかったタイプのジャズを書けるようになって「ついに出せるかな」って思って出したのがこの曲なんですよね。「鵙の早贄」がバズったし、人気が欲しかったら次の曲もその方向性で書くべきだと思うんですけど、生半可なことはしたくなくて。二番煎じ、三番煎じをずっと書いていても面白くないし、それしか書けない人になっちゃったら嫌なので、もっとカッコいいジャズ的な曲をいつか書こうと思ってたんですが、ついに出せました。

ージャズと言っても幅広いですが、どのあたりをイメージしていましたか?

自分が好きなのは現代のジャズというよりも、1920年代とかのアメリカの古いジャズなんです。それを日本人が戦前に輸入して日本語の歌詞をつけて歌っていたような、榎本健一さんや笠置シヅ子さん(※戦前から戦後にかけて活躍した歌手。通称“ブギの女王”)界隈の人が作っていたジャズが好きですね。ジャズの発祥であるニューオーリンズ・ジャズも好きです。現代で言うと、大野雄二さんはジャズの作曲家ですけれども、歌謡曲もたくさん書かれている方なので、どこか歌謡曲っぽいんですよね。そういった歌謡曲ナイズされたジャズも好きなのかもしれないです。

ー歌詞の着想はいつ頃からあったのでしょうか?

それこそ、さっき話した反骨精神的なものをポップなジャズに乗っけることで、みんなにノリノリで聴いてもらえそうかなって。構想としては、中学生の頃から「こういう曲をやりたい」って思っていたんですよね。

ーそんなに前から。

はい。かなり荒れてる群馬のヤンキー中学校にいたんですけど、全然名前も知らない他のクラスの男子にいじめられていて。休み時間になると私に変なあだ名をつけて、追っかけてくるんです。それが怖くて、休み時間は唯一味方になってくれた図書室の先生に匿ってもらっていました。不登校も許してもらえないし負けたくなかったから、意地でも学校に行って授業を受けるんですけど、授業と部活以外は図書室の書庫に逃げ隠れて過ごしてたんです。

書庫って全然貸し出していない本が詰まっている場所なので、基本流行りの本はないんですよ。古典とか、シェイクスピア、ゲーテとか、『レ・ミゼラブル』を書いているヴィクトル・ユーゴーの本とか、そういうのしかなくて、何年か古典ばかり読んで過ごしました。昔の印刷だから文字も読みにくいし中学生が知らない言葉もいっぱい出てくるし、最初は仕方なく読んでたんですけど、“中二病”な時期なのがよかった(笑)。

ーと、いうと?

いじめられてる悔しさもあったから「でも、私はこんな難しい本を読んでるぞ。カッコいいな」みたいな、そういう気持ちになれて。ただ、その古典がめちゃくちゃ面白くて! なかでも一番刺さったのはジョン・ミルトンの『失楽園』です。アダムとイヴの話がメイントピックなんですけど、そこに至る前に天界と悪魔との戦いが描かれているんですよね。天使のルシファーが神様との戦いに敗れて地獄に行っちゃうんですけど、仲間の堕天使たちと「天界に一矢報いるためにどうやって戦うか」みたいな会議をして。天界は神をトップに据えて全体主義っぽいのに、悪魔は合議制というのが面白くて。『失楽園』は1667年の物語なんですけど、それまで宗教の信者への脅しとして存在していた“地獄”に豊かなキャラクター性を与えて、しかも「神をどうやって倒すか」みたいな反骨精神を語らせているんです。

「アンタと同じ地獄に堕ちようか」では《平穏無事な軛より/苦難の自由を選ぼう》というフレーズがあるんですけど、これは『失楽園』からほぼ引用させていただいてます。『失楽園』の中で、悪魔が「地獄に落とされてしまって大変だけれども、苦難の中でも俺たちには自由があるではないか」というようなことを言ってて。神様や天界におもねって忖度をするのは、平穏だし平和だし自分は害されないんだけど、それって家畜と一緒だよねって。悪魔の台詞はどれも面白くて心に残っているんですけど、それが当時男子にいじめられてて、でも自分の意思で何かしたいという想いと重なったんだと思います。それで、いつかどこかで出せたらいいなって思っていました。

ーそういったモチーフがありつつ、新曲では離想宮さんのフィルターを通して表現していますよね。《平穏無事な軛より/苦難の自由を選ぼう》も、はじめは今の社会のことを歌っていると思いましたし。

『失楽園』は宗教的なお話ですけど、みんな何かに悩んでいたり、思うことは今と変わりがないんだなと思いますね。よく「音楽に思想を出すな」って言う人がいますけど、昔から詩人や音楽家は思想を出していたし、ヒップホップは歴史自体にそういう背景がありますし。だから(音楽は)自分が生きている時代に沿って、思ったことや言いたいことを出すものだと思います。私の場合、引用するところやインスピレーションは古い時代のものが多いですけど、「この思想は今にも通じるな」とか、自分なりに今現在に当てはめてます。

ー今作は、歌い方にも変化を感じて。特にサビは感情を込めた歌になっていますが、そういった自覚はありますか?

もともと自分が歌うことを想定していなかったので、自分本来の歌声をあまり気にせず曲を作っちゃうんですよ。なので、曲ごとに想定してる歌い方が違うんですよね。誰かに歌ってもらうイメージで作っちゃってるんだけど、まだその“誰か”がいないから全部自分がやってる、というか。

本当は「『アンタと同じ地獄に堕ちようか』なら声に張りが要る」とか「『運命の女』はハウスだからもうちょっと声の効きがよくてロボットみたいな声で歌えるような人にやってもらおう」とか、私が稼いでるアーティストだったら他の方に歌ってもらえるんですけど、そんなことは全然できないので「全部自分でやるぞ」って。だから今回の曲は感情をいっぱい入れたほうがいい曲だなと思って、そういう歌い方をしました。

ーそれも音楽性の幅広さにも繋がっているんですね。今後、挑戦してみたいことはありますか?

作詞・作曲・編曲を全部やるスタンスは崩したくないんですけど、それはそれとして、バックバンド入りのライブとか、あとはバンドサウンドで誰かにギター弾いてもらってレコーディングしてもらうような体験がしたいですね。それと、楽曲提供をやってみたくて。滝音さんのときに“誰かのために曲を書く”ということをやらせてもらって、めちゃくちゃやる気が出たんです。誰かのイメージに挑戦することによって、今まで書けなかった曲が書ける気がするので、やっぱり自分は作曲家だなって思いますね。でも「やりたい!」って言ってるだけではできないので、依頼をお待ちしております(笑)。

ー離想宮としてライブをしたのは、2023年2月の1回だけですよね?

そうですね。滝音のさすけさん、マユリカの阪本さん、ニッポンの社長の辻さん、ロングコートダディの堂前さん、シカゴ実業の山本プロ野球さん、あとはこの間解散しちゃったんですけど、ムームー大陸の山崎おしるこさんという名だたる芸人さんがやってるジュースごくごく倶楽部というバンドの前座で出させていただいたのが最初で最後です。なので、ライブもどこかでやってみたいなとは思ってます。

ー元グランドキャバレーだった東京キネマ倶楽部で「キャバレーの唄」を聴いてみたいですね。

それはよく言われるので、私も目標にしています。さすけさんに大阪の味園ユニバースでやってほしいって言われてたんですけど、老朽化で来年取り壊されちゃうし、キネマ倶楽部も古い建物だから…「間に合え!」って思ってます。そういうところを埋められるようなアーティストになりたいです。

キャバレー文化には憧れがあって、離想宮って人名というよりもハコの名前っぽいじゃないですか。なので、いつかキャバレーのショーみたいなライブがしたいなと思ってて。運よくお笑い芸人の知り合いがいたり、最近は舞台の演出家さんにも評価していただいたりしているので、そういうのをまとめた混沌としたライブがやりたいという野望があります。

ーでは、アーティストとしての最終目標はなんでしょうか?

最初は名前の通り「自分の理想のお城を作るんだ」っていう心持ちだったんですけど、今は“リスナーすべてを巻き込んだ共同体”を作りたいと思うようになって。それはある種の駆け込み寺のようなもので…なんて表現すればいいのか難しいですね。でも、さっき言ったようなハコ計画なのかな。歌あり、コントあり、お芝居あり、手品ありで、それをみんなが見に来て、見に来た人の中でまた新しい芸術が生まれてたりして。あと、たとえばドレスコードで<メットガラ>(※ニューヨークで開催されるファッションの祭典。世界中のセレブが豪華なドレスを披露する)みたいな服を指定するライブをやったりとか。見果てぬ夢ではあるんですけど、そうやって新しい文化をリスナーさんとも作っていけるような面白い世界観のイベントをやれたらいいなと思っています。

RELEASE INFORMATION

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New Single『アンタと同じ地獄に堕ちようか』

2024年12月25日(水)リリース
〈early Reflection〉

【配信リンク】https://lnk.to/risoukyu_neoparadiselost

early Reflection

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early Reflectionは、ポニーキャニオンが提供するPR型配信サービス。全世界に楽曲を配信するとともに、ストリーミングサービスのプレイリストへのサブミットや、ラジオ局への音源送付、WEBメディアへのニュースリリースなどのプロモーションもサポート。また、希望するアーティストには著作権の登録や管理も行います。
マンスリーピックアップに選出されたアーティストには、DIGLE MAGAZINEでの動画インタビューなど独自のプロモーションも実施しています。

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離想宮(りそうきゅう)

2020年から活動を開始。自作を「闇のみんなのうた」と銘打ち、1曲ごとに違った音楽性をまとうジャンルレスな楽曲群、人間の感情を鋭く描いた歌詞、可愛らしいがどこか毒のあるMVのアニメーションやアートワークが特徴的な作品作りを行う。

作詞/作曲/編曲/歌唱はもちろんのこと、ミュージックビデオをはじめとしたアニメーション/映像制作やジャケット制作なども手掛け、すべてを自己完結して作品を届ける。

その活動はさらに多岐にわたり、ゲーム主題歌の制作や、よしもとの芸人・滝音の出囃子作成、劇伴のコンポーザー、若手芸人によるバンド・ジュースごくごく倶楽部の前座およびサポートなども担当。幅広いリスナーから支持されるマルチクリエイター。
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