SERIES 連載企画
INTERVIEW インタビュー記事
PLAYLIST プレイリスト記事
NEWS ニュース記事
COLUMN 寄稿されたコラムをお届け
REVIEW レビュー
HOW TO サブスクサービス使い方など
前のメニューに戻る
Spotify スウェーデン発の世界的音楽ストリーミングサービス
YouTube Music YouTubeが始めた音楽ストリーミングサービス
Apple Music Appleが展開する2大音楽ストリーミングの一角
前のメニューに戻る
Apple Musicとは?
Apple Musicの使い方
Apple Musicは何ができるの?
料金プラン一覧
通信量はどれくらい?
解約方法/アカウント削除
iTunesでCD音源管理
学割プランについて
ファミリープランは?
Apple Music Voiceプランとは?
どうやって始めるの?
リピート再生する方法
ダウンロード/オフライン再生
Apple Musicで歌詞をみる
Apple Musicの支払い方法
音質の設定方法
プレイリストの作り方
PCブラウザでのApple Music利用
Android版Apple Musicの使い方
Apple Musicのロスレスオーディオ
Apple MusicをAlexaで操作
Apple Musicのタイマーは?
Apple Musicで再生できない
ダウンロードできない時の対処法
Apple Musicのドルビーアトモス
Apple Oneとは?
Apple Music Classicalとは?
LINE MUSIC LINEが展開する音楽ストリーミングサービス
AWA AWAが展開する音楽ストリーミングサービス
Amazon Music Amazonが展開する音楽ストリーミングサービス
楽天ミュージック 楽天が展開する音楽ストリーミングサービス
サービス比較
MOVIE 動画ストリーミングサービス
前のメニューに戻る
Netflix 定額制動画ストリーミングサービス
Hulu 映画・ドラマ見放題の動画ストリーミングサービス
Amazon prime video Amazonの動画ストリーミングサービス
U-NEXT 株式会社U-NEXTが運営する日本の動画配信サービス
DAZN スポーツ見放題の動画ストリーミングサービス
Disney+ ディズニー公式サービス
Apple TV+ Appleサービス
ABEMA 恋愛番組、アニメ、スポーツなど多彩な番組が楽しめる動画配信サービス
Lemino レビュー投稿をして他のユーザーと一緒に楽しめる動画配信サービス
DMM TV アニメを主軸に幅広いコンテンツを提供する動画配信サービス
WOWOWオンデマンド 世界中のエンタメ作品、独自作品を楽しめる動画配信サービス
サービス比較
全楽曲の作詞、作曲、編曲を自ら行い、共感性の高い楽曲でSNSを中心に注目を集めている現役大学生のシンガーソングライター・アヤハラヨウが、2025年4月9日に新曲「ホームシックユース」をリリースした。《2分後に来る快速特急に 飛び込もうかと“10秒”考えた。 》という冒頭の歌詞とストレートな歌声は、痛みを抱えている人であれば誰もがスマホをスワイプする手を止めざるを得ないだろう。しかし、この曲はそんな絶望の背景を辿っていくことで、いつしか力強く立っていられるような、生きることへの渇望に溢れた曲だ。
アヤハラヨウの初インタビューとなる今回、彼の音楽ルーツから「ホームシックユース」の制作背景、感性の根源まで掘り下げて分かったのは、アヤハラが音楽は誰かの救いになる力があるのだと、誰よりも信じているアーティストだということ。何も信じられなくなった夜にこそ、彼の歌声に耳を傾けてみてみてほしい。
ー音楽にまつわる一番古い記憶ってどんなものですか?
「音楽の一番古い記憶」と「人生で一番古い記憶」が同じなんですよね。3歳頃に、家族で乗っている車の中で音楽が流れていて、僕は後部座席に座ってたんです。辺りが真っ暗になっていたから、夜だったと思うんですけど、そのとき流れていたのがハナレグミの「家族の風景」でした。
ーご両親は音楽好きだったんですか?
そうですね。父はロックが好きで、母はクラシックやThe Beatles(ザ・ビートルズ)が好きで音楽の先生もやっていました。
ー両親が聴いているからではなく、自分で聴きたいと思う音楽が定まってきたのはいつ頃でした?
結構早かったと思います。父の車にはBUMP OF CHICKEN、ポルノグラフィティ、米津玄師、THE YELLOW MONKEYとかのCDが入っていて、その中から自分のお気に入りの曲を選んでかけるようになったのが4、5歳の頃でした。ポルノグラフィティの「アポロ」は100回ぐらいかけていたんじゃないかな。子供ながらに、ギターの歪んだ音が新鮮だったのはすごく覚えていますね。
ー特にハマった、青春を表すようなアーティストはいますか?
僕、自分の作品に対しては絶対的な自信はあるんですが、唯一かなわないと思ったミュージシャンの曲があるんです。それが中学2年生のときに聴いた米津玄師さんの「海の幽霊」。初めて音楽で鳥肌が立ちました。そして、米津さんがこの曲を出した年齢と同じ歳になったときに、自分は果たしてこんな曲が作れるようになるのかなって考えて、「作れない」と思っちゃったんですよね。それが本当に悔しくて泣いたのをよく覚えています。その経験があったからこそ、今自分の作った曲の良し悪しを判断するときに“人を感動させる何かがあるか”が一つの基準になっているなと思いますね。
ーでは、中学2年生の頃にはミュージシャンになる思いは固まっていた?
もっと早くから音楽を作ることに対する興味はありました。そう思ったきっかけは小学校5年生の頃に観た金曜ロードショーの『千と千尋の神隠し』です。観終わったあと、心にデカい穴があいたような感覚になったんです。自分の住んでいる世界に油屋はないし、トンネルに入っていけば異世界が広がっていることもない。とてつもなく物寂しい場所に一人立たされているような感覚…。
それに対する寂しさや絶望感から、「じゃあ自分が作る側になったらどうなのかな?」って考えたんです。「ないなら作ろう!」っていう安直な考えですけど、そこからモノを作ることに興味を持ちました。その矛先が音楽へ向いたわけですけど、あのときに味わった感動を音楽で創り出すためにずっと試行錯誤を続けているんですよね。
ーどのように楽曲制作を始めたんですか?
はじめは日本語の歌詞じゃなかったんです。文法も単語もぐちゃぐちゃなでたらめな英語を、自分の好きなメロディに乗せていくだけでした。とてつもない数の曲を作りましたけど、後から振り返ってみたら使えるものはほとんどなくて(笑)。でも、あの頃はあの頃で楽しかったなと感じますね。
ーそれは自宅で録音してみたり?
おばあちゃんの家でずっと作っていました。両親は共働きで僕はいつもおばあちゃんの家に帰っていたので、母が迎えにくるまでの間、おばあちゃんが持っていたギターを弾いて作っていたんです。母は音楽を教えてくれませんでしたし、父親はどちらかというと音楽の道に進むのははじめのほうは反対だったので、おばあちゃんが唯一「この曲どう思う?」って言える相手でした。
ー本格的に音楽活動を始めたきっかけは?
大きなきっかけはなかったですね。高校を卒業するときに「プロになりたいな」って漠然と思ってましたけど、実際にこうやって活動してくことは想像もしていませんでした。僕は特段運動ができる人間でもないし、かといって絵が描けるわけでもなく、勉強ができるわけでもない。唯一、人よりできるものが音楽しかなかったので「音楽で生きていけないとどうなっちゃうんだろう…」ってマイナス思考になっていました。でも、今ではそこから発想の転換で「じゃあ音楽で生きて行こう」ってなったんです。
ーでは、音楽活動のために上京したわけではないんですね。
逃げ腰な人間なので、矢沢永吉さんのように電車賃だけ持って東京へ…みたいなそんなことはできず(笑)。「音楽だけで食っていくのが無理だったら、人生大変になるよな」って考えから、東京の大学を選びました。それと同時のタイミングで「Filter Project」から声をかけていただいて活動を始めたんです。
ー2022年4月に初シングル「逢魔」を配信されていますが、この曲が世に出たときはどんな想いでしたか?
僕には幼稚園からずっと一緒にいる幼馴染がいるんですけど、僕の作った曲はずっと彼がベースを弾いてくれていたんです。二人でああだこうだ言って、何晩もお泊まりをしながら曲を作って。でも、彼はいろんな未来を見据えていたので、これが二人で一緒に作った最後の曲なんです。それまでやってきた証じゃないけど、彼と一緒に切磋琢磨して頑張ってきたものが一つの形になった喜びがありましたね。
ー現在の楽曲制作の方法は、でたらめな英語を乗せて歌っていた頃から変わらないですか?
最近そうじゃなくなってきましたね。何のメロディにも乗ってない言葉が先に降りてきます。その言葉に引っ張られて、メロディや残りの歌詞が生まれてくるんです。
ーその言葉はどこから降りてくるんでしょう?
日常の嫌なこと悲しいこと、つらいこと、怒り。基本的にマイナスな面からボロッと出ることが多いですね。今回リリースした「ホームシックユース」でいうと、《2分後に来る快速特急に 飛び込もうかと“10秒”考えた。 》って、ただ僕が10秒考えただけっていう実際の行為なんです。日常の自分とリンクした言葉が出てきてそこから作業が始まるので、出てこないときは結構大変ではあります。
ー日常の中から言葉を拾い集める作業って実はすごく難しいと思うんです。それが聴く人の心に響くのは、アヤハラさんの言葉に対する意識の強さかなと感じるのですが、普段から言葉に対してどんな意識を持っていますか?
僕は思ったことをすぐに口にして、それで人を傷つけたり、怒らせたりするタイプの人間だったんです。でも、米津玄師さんと菅田将暉さんのラジオで、菅田さんが米津さんに「みんながセンチを見るなら米津はミリを見る」っていうことを言っていて。そこから僕は人がセンチを見ているときに、踏み込んでミリを見ることを意識するようになったんですよね。何の気なしに生活していたら通り過ぎていくだけの感情や言葉を「ちょっと待てよ」って、もう一回解き明かして、掘り明かしていくことを意識するようになったんです。
ー「ホームシックユース」の冒頭の歌詞はまさにその“ミリ”の部分ですよね。この歌詞はどんな背景から生まれたんでしょう?
この曲の歌詞の冒頭ができたとき、僕は音楽に対する興味がほとんどなくなっていた時期でした。今日まで音楽だけをやってきた人間だったので、人生のアテがなくなったような感覚になっていて、メンタルが擦り切れていくような日々を過ごしていたんです。でも、普段使う電車の駅のホームで「全部嫌になったな」って思ったときに、常々「全部曲にしろよ!」ってお世話になっている方に言われていたのを思い出して。もしミュージシャンを辞めるとしても、最後のピリオドぐらいは曲でつけようっていう覚悟のもと作り始めた曲なんですよ。なので、「全部嫌になったな」って思いから始まり、「嫌になったらどうしたいんだろう?」「あ、飛び込みたいな…」ってどんどん連想していくことで冒頭の歌詞が生まれました。
ー当時抱いた想いからタイトルにもある「ホームシック」というコンセプトには、どう繋がっていったんでしょう?
冒頭の歌詞ができて、すごく人の心に残る歌詞が生まれたと思ったんですけど、これだけだと僕の死にたい日の日記なんです。それでは誰かの心に届く力が著しく欠ける曲になってしまうから、もうちょっと自分のことを掘り下げてみました。僕と同じような状況の方は少なからず世の中にいらっしゃるから、その方が自分を重ねて聴けるような歌詞にしようと思って。
僕はミュージシャンが嫌になって、メンタルが擦り切れた。ミュージシャンを目指して東京に来たということは、少なからず寂しさや地元を想う恋しさが根底にはずっとあったんだろう…。そう気づいたときに、そこを無視しては通れないなと思いました。
ーその要素が加わったことで、印象がかなり変わりましたよね。
冒頭の言葉だけだとただの死にたい人ですけど、歌の中でおよそ640字ぐらいの歌詞の流れに入ると、マイナスなだけじゃない効果がでてくるんですよね。10秒考えた自分が「やっぱり生きていたい」っていう気持ちになるプラスなパワーを持っている曲でもあります。
ーサウンド面についても聞かせてください。「ホームシックユース」の制作で苦労した点はありますか?
今回は今までやっていた足していくアレンジから、引くアレンジをやってみました。本当は冒頭のアレンジにピアノのリフレインが入っていたんです。でも、僕が大好きなミュージシャンの先輩に「どうですか?」って聴かせたら、「ピアノいらないね。歌とピアノのリフ、どっち聴いたらいいかわかんないよ」って言われて(笑)。腑に落ちないまま一回消してみたら「なんだ、ないほうがいいじゃん…」となって、歌と言葉が最大限活きるような引くアレンジで落ち着きました。
ーこれまでの楽曲よりも、歌声が刺さるアレンジになっているなと思いました。
僕はアレンジに対して「ま、これでいいか」となることは絶対にないんです。トランプのタワーを想像していただけると一番わかりやすいんですけど、ちょっとつつけば崩れるし、絶対に一個も抜いてはいけない。全てが有機的に作用する音の重ね方をずっと意識しています。
ー歌い方については、これまでと変化はあったんでしょうか?
全然違うと思います。東京に来てから通っているボイトレで、歌い方を矯正していただいたんですよ。おかげでストレートに声を飛ばす歌い方になりました。でも、今はあえてそれを崩すこともあって、自分の好きなように歌うようにしています。言葉が本来持っている力がたくさんあるので、曲と歌詞に引っ張られてケースバイケースで変わっていく印象ですね。
ー気持ちを乗せるという点で考えても、歌詞が重要な役割を担っているんですね。個人的には冒頭以外に《ATフィールド全開も限界。》というフレーズも気になっていたんですが、『新世紀エヴァンゲリオン』が好きなんですか?
はい(笑)。ちなみに、アヤハラヨウの「アヤ」は綾波レイから来てます。ATフィールドってエヴァンゲリオンの世界では心の壁のことなんですよね。《死んだ魚の眼をして、不感症装って ATフィールド(心の壁)全開も限界。 》という歌詞は、不感症を装うけど、結局ずっと誰かが手を差し伸べてくれることを待ってるんです。でも、そんな簡単に素直になれない…っていうのを表現したくて。
自分は人を救えるほど大層な人間じゃないから、「僕も同じだ」「私も同じだ」「俺たちそうだよな」って、みんなで一つのコミュニティができたらいいなって思うんです。
ー今は現役大学生でありながらミュージシャンとして活動されていますが、どうバランスをとっていますか?
誰でもそうだと思いますけど、絶対に自分にしか立ち入ることのできない心のゾーンってあるじゃないですか。誰に何を言われても、どんな言葉をかけてもらっても、絶対に癒えることのない傷はありますし。そういうところから曲ができているので、周りの環境や人がどうであるかはあんまり関係ないですね。
ただ、アヤハラヨウはアヤハラヨウで変わらず創作を続けるけど、一人で曲作りをするのはやっぱり寂しいんで、大学の友達とたまにはご飯に行ったり、「最近どうよ?」って話をしたりする時間にありがたみと嬉しさを感じている自分もいます。
ー別の居場所という感じですね。
そうですね。アヤハラヨウが音楽の世界にいるとしたら、僕自身はちゃんと現実世界で生きている。そこはまったく相容れないものだなと思いますね。
ーでは、これから挑戦したいことはありますか? 今年に入ってXでバンドメンバーの募集をされていましたが…。
あれは100%思いつきでやってみました(笑)。僕の中でバンドって、はじめは前衛的なものをカッコよく鳴らしているけど、結局は世の中とうまく折り合いをつけていくようなイメージだったんです。でも、Enfantsというバンドに出会って一発で持っていかれちゃって。「これがしたい!」「バンドやりてえ」って気持ちにさせてもらったんですよ。
だから、アヤハラヨウとはまったく別で、Radiohead(レディオヘッド)みたいな、世の中には受け入れられないかもしれないけど、自分たちの「カッコいい」を信じて貫けるものをやりたいと思ってスタートを切ってみました。
ーRadioheadはいつ頃から聴いていたんですか?
中学生の頃に聴いたときは「これは音楽なのか?」と思いました(笑)。でも、今になって聴いたら「すごい曲たちだ!」って改めて衝撃を受けたんです。米津玄師もEnfantsもRadioheadも、さらに言えばエヴァンゲリオンもそうですけど、僕はやっぱり欠けたところからくる美しさというか、違和感、不協和音のような、普通は良しとされないところからくる作品に惹かれるのかもですね。元来そういう人間なんだと思います。
ーそんなアヤハラさんが音楽を作る上で「これが自分らしさだ」と感じている部分はありますか?
絶対に「頑張れ」を言わないこと。これは僕の感じ方なんですが、「頑張れ」って言われると「今の俺は頑張ってねえのかよ?」「頑張ってダメなんだよ!」って気持ちになるんですよ。背中を押すよりは、押さなくても本人が自分で進めるまで背中をさすってあげられるミュージシャンになりたいという思いが根底にあるんです。
それは、僕自身が今日までいろんな場面でそういう音楽に助けられてきたからだと思います。BUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、米津玄師、皆さん決して「頑張れ」とは言わないミュージシャンなんですよね。そして、そんな眠れない夜にずっと聴いてたミュージシャンにも10代の頃があって、同じように救われた音楽があると思うんです。だから僕もいつか出てくる10代の子たちのために、そういう存在になれればいいなって思うし、そのためにも生きていなきゃいけないなって気持ちですね。
ーでは、今自分がやるべきだと思うことは?
今は自分自身に立ち返りたいです。「本来好きな音楽ってなんだっけ?」「あの頃どうしてたんだっけ?」「あの頃何が楽しかったんだっけ?」って。お世話になっていた先輩が「自分の好きなものや美学を世の中の人に届けることこそがセンスなんじゃない?」と言っていて、「確かに」って思ったんです。綺麗なもの、カッコいいものを作れることがセンスという場合もありますけど、世の中の人を無視せずに音楽で飯を食いたいなら、音楽でちゃんと成績を残さなきゃ好きな音楽も続けられなくなってしまう。だから、世の中の人は決して無視せずに、自分なりのカッコいいものと世の中が求めているものをうまく中和していきたくて。そして、アヤハラヨウにしかできないポップソングを「これどうですか?」「同じ人はいらっしゃいませんか?」って世の中の人に届けていきたいなと思っています。その結果、共感してくれる人が一人でも増えればいいし、いつかデカい規模になっていけば嬉しいですね。
RELEASE INFORMATION
![]()
編集部のおすすめ Recommend
Review
石角友香
News
Kou Ishimaru
Interview
田山雄士
Review
DIGLE編集部
Review
DIGLE編集部