Kitriの音楽において「影(≒仄暗さ)」の部分は通奏低音であり、これまでもその作品の中にうっすらと漂っていた。いわばそれが彼女たちの作家性であり、だからこそKitriの曲には「不思議」、あるいは「神秘的」と形容すべきミステリアスな響きが宿っていた。鍵盤の旋律に誘われて、絵本の世界に引きずり込まれるような錯覚。そうしたファンタジーとしての面白さが、この音楽の豊かさであるように思う。清廉な印象を与える彼女たちの歌唱は、歌でもあり、同時に物語をナビゲートする語り手のような役割も果たしている。
「噛めば噛むほどビターな味わいがある。Kitriの楽曲に表と裏があるとしたら、普段は秘密にしている裏側の世界をのぞいてもらえるような作品」というのが、『Bitter』に対する本人たちの説明である。彼女たちの音楽における陰りの要素が、より顕在化した作品とも言えるだろう。「青い春」や「水とシンフォニア」といった、朗らかなポップソングが印象的だった『Kitrist Ⅱ』の作風や、直近のタイアップ付きの2曲に比べると、確かにその影は濃淡を強めているように思う。
さて、本作『Bitter』は姉妹によるピアノ連弾ユニット、Kitriによる3作目のEPである。昨年4月に2作目のアルバム『Kitrist Ⅱ』を発表し、11月にはTVアニメ『古見さんは、コミュ症です。』への書き下ろし曲、「ヒカレイノチ」と「シンパシー」をリリース。その翌月に恵比寿ザ・ガーデンホールでのワンマンライブを行うなど、着実にステップアップしての2022年初音源である。
時計の針は午前2時
もうすぐ眠りにつく頃
誰にも知られてはいけない夜
(「踊る踊る夜」)
月夜に幻想体験をするような不思議な感覚を覚える、東欧音楽やジャズ、ラテンをブレンドしたような捻りの効いたポップソングである。《禁断と分かっててかじったんだ》というラインも象徴的で、この曲の世界では、好奇心と不穏な予感が天秤で揺れているのだろう。重ね録りしたという低音域の音には存在感があり、人知れず踊ることの快感が表現されている。
また、Hinaがひとりで書く歌詞が増えてきているのも、ここ1年ほどの傾向である。この曲を聴いていると、以前Monaが作曲した「Lily」について、「印象派の絵を見ているようなメロディだと感じた」と語っていたことを思い出す。画家の名前がずらりと並ぶ「踊る踊る夜」のリリックは、響きの気持ち良さがあるのはもちろん、音を視覚的に捉える彼女の感性が反映された曲に違いない。
「誰も聴いたことがない民謡」をテーマに書いたという「実りの唄」は、Kitriの中でも一際美しい音楽である。トランペットの音が異国情緒を感じさせ、サビには開けた自然の中でひとり、夜明けの瞬間に臨むようなスケールがある。楚々としたコーラスには、きっと多くのリスナーが惹かれるはずだ。
前半2曲の編曲を担当したのが神谷洵平で、これまでも「羅針鳥」や「矛盾律」といった代表曲を手掛けてきた。ライブにおいてもドラマーとしてサポートしてきた彼は、本作でもKitriの魅力を存分に引き出している。ドラムのプレイも素晴らしく、「踊る踊る夜」における繊細かつ躍動感のあるサウンドは彼ならではだ。1分を過ぎた辺りの、品性を感じるふくよかな響きのアンサンブルも、この曲の大きな聴きどころのひとつだろう(ちなみに、ギターには岡田拓郎、トランペットにはTRI4THの織田祐亮がクレジットされている)。
一方後半の2曲のアレンジは、礒部智が手掛けている。『Kitrist Ⅱ』において「NEW ME」、「赤い月」のアレンジを手掛けた人物で、「Kitri流のダンスミュージック」をイメージしたという前者や、ラテン調のメロディが印象的な後者など、アルバムの中でも新鮮なエッセンスを持った楽曲が記憶に新しい。
氏が作ったトラックを元に、やりとりを重ねて作ったという「左耳にメロディー」も、彼とのコミュニケーションの中でこそ生まれた曲だろう。サルサのようなパーカッションが印象的で、メロディよりもリズムが前に出た楽曲である。通勤電車を舞台としたドラマを描いたリリックと、紙芝居を読むような少し引いた視点を感じさせるリーディング部分、そしてふたりのヴォーカルが交互に表れる構成も新しく、現実感と非現実感が混在する蠱惑的な1曲だ。
さて、4曲目の「悲しみの秒針」である。もしかしたら、昭和歌謡やシャンソンからの影響だろうか。哀情を感じさせる短調のメロディと、物憂げな声で聴かせる歌...しっとりしたトーンのサウンドは、ありそうでなかった一面のように思う。雨に濡れる描写がある一方、傘の描写がない歌詞も、この楽曲の雰囲気に影響を与えている。尾を引く余韻のある、そこはかとない悲しみを感じる曲である。作品を通して新しいアイデアを試みているEPで、4曲というコンパクトな構成の中で、音楽的な裾野を広げた音源と言えるだろう。
クラシックからJ-POPまで幅広い音楽性を横断していくKitriの曲には、聴き手に思い思いの景色を見せる、いわばノスタルジーを刺激する力がある。それはあるいは、大人になっていくうちに見ることのなくなった、空想の風景でもあるのだろう。「今ここ」から離脱して、遠い彼方の「心象風景」へとアクセスする。この跳躍がこの音楽の魅力である。
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