故郷を求め飛び立つツバメのようにーーLucinda Chuaが自身を再構築するまでの旅路

Interview

文: Mao Ohya  編:Mao Ohya 

名門〈4AD〉からデビューアルバム『YIAN』をリリースした、ロンドンを拠点とするアーティストLucinda Chua(ルシンダ・チュア)にインタビュー。自分のアイデンティティに自信を持てるようになるまでの経験を描く本作は、多くの人の心と共鳴するはずだ。

儚くもどこか凛とした存在感を放つ、ロンドンを拠点とするアーティストLucinda Chua(ルシンダ・チュア)ーー。

3月24日に〈4AD〉からリリースされた彼女のデビューアルバム『YIAN』は、両親が中国とのつながりを保つために、彼女につけた名前”Siew Yian”の一部であり、中国語でツバメを意味する。アルバム・タイトルが象徴するように、今作は中国系マレーシア人の父とイギリス人の母の間に生まれた彼女が、これまで抱えていた、“私は何者か”という途方もない問い、そして、自分のアイデンティティに自信を持てるようになるまでの経験を、音楽という形に昇華した作品だという。受け継がれた文化の狭間を行き来し、彼女の複雑な心情が解放されていく様は、まるで祈りのようだ。幽玄で内省的なサウンドスケープ、チェロやバイオリンのオーガニックな音色、詩美を感じる旋律は、聴き手をを慈しむように包み込み、深い安らぎを与えてくれる。

本インタビューは、メール・インタビューとなっているが、自身のルーツやアルバムの制作過程、新たな成長についてなど、一つひとつ言葉をつむぐように、丁寧に質問に答えてくれた。Lucinda Chuaという一人の人間の経験を通して、音楽を創造した彼女は『YIAN』から何を得ることができたのだろうか。

心の奥底ではソロになりたいという気持ちがあった

──まず、あなたの音楽的なルーツから教えてください。“自分自身の基礎を作った”と思う最も重要なシングルやアルバムを、思いつくままに挙げてもらえますか?


私はピアノとチェロでクラシック音楽を学んでいたけど、実験音楽や映画のサウンドトラックもよく聴いていたの。その中で、成長期の私に影響を与えたもので記憶に残っているのは、『リリイ・シュシュのすべて』のサウンドトラック。幻想的なポップミュージックとクロード・ドビュッシーのピアノ楽曲との融合が印象的だった。それから、10代の頃は、ダイナミックでドラマチックなインストゥルメンタル・ミュージックを展開するSlintMogwaiといったバンドが好きだったわ。

──クラシック音楽の勉強と並行して、実験音楽や映画のサウンドトラックの世界に触れることで、多様な音楽性やアプローチを知ることができたのかもしれないですね。あなたは写真家から音楽家へ転向していますが、なぜ写真家として活動をしていたのでしょうか?


私は3歳という幼い頃から音楽教室に通っていたけど、クラシックの演奏家になるほどの技術的な身体能力はなかったし、ポップスターになるにはあまりにも型破りだったこともあって、プロの音楽家としての道は想像できなかったの。アーティストになりたいという気持ちはあったけれど、家族から音楽家として生計を立てていけるかどうか心配されて、その道を諦めるようにすすめられた。

その点、写真はクリエイティブでありながら職業として成立するから、賢明な選択だと思ったの。何よりも、友人たちの写真を撮るのが好きだったし、写真家であることは新しい人々と出会い、一緒の時間を過ごす素晴らしい方法だった。

ーその頃も音楽の制作は続けていましたか?また、いつから音楽家として本格的に活動を始めたのでしょうか。

 写真家として活動していた頃も、副業として音楽を作っていたわ。物心ついたときから音楽は自分自身の一部で、人とのつながりを築くための手段なの。音楽をフルタイムの仕事にしたのは、FKA twigsのツアーに参加した後、〈4AD〉と契約してからのここ数年よ。

ールシンダ・チュアとして活動を始める前に、Felixというバンドに所属していたそうですね。バンドからソロ活動に挑戦するに至った経緯を教えてください。

Felixは私が大学に在籍していたときに始めたソロプロジェクトで、最初は7曲入りのEPをセルフレコーディングして、当時働いていたバーで販売してたの。ライブの予約を始めた頃には、プロジェクトはバンドに成長して、〈kranky〉から2枚のアルバムをリリースした。2枚目のアルバムを作るときは、2人のバンドメンバーとプロのプロデューサー/エンジニア/ミキサーと一緒に作っていたんだけど、私は最年少で、しかも唯一の女性メンバーとしてプロジェクトに参加していたから、どう発言すればいいのか、どうやって状況をコントロールできるのかが分からないこともあった。

その頃から、心の奥底ではソロになりたいという気持ちがあったと思う。でも、自信が足りなかったのかもしれない。バンドが解散した後、ソロ活動を始めたいと考えていたけれど、その方法を見つけ出すのには何年もかかったわ。

ーそうした経験を経て、今はシンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサー、マルチ奏者として活動をされていますが、それぞれに対して、マインドやスタンスの違いはありますか?

正直なところ、すべて同じことの一部だと捉えているから、違いはないと思ってるわ。私のさまざまなスキルは、自分の頭の中にあるものを表現するためのツールであり、それらは私を定義するものではないと思うの。私のアプローチに共通しているのは、常に規律と自由のバランスを取ろうとすることで、その両方に喜びを見出すこと。

私の脳には、限界のない探求と実験を望むアーティストとしての側面があるけれど、その一方で、秩序ある側面もあって、その側面は、しっかりとした体系や構成を求め、具体的な進歩や完成によってもたらされる満足感を求めているの。

アルバムの名前が『YIAN』になると確信した瞬間

ーとても興味深いです。今回リリースされた『YIAN』は初のフルレングスアルバムということもあり、キャリアにおいても重要なポイントになったかと思います。アルバムを完成させた現在の心境はいかがですか?

幸せな気分よ!だけど、アルバムが完成した後、その先どうしたらいいのかわからなくて、最初はすごく怖かった。このアルバムを作ることで、私は大きな枠組みや目的意識を持つことができたから、それが終わったときは喪失感を覚えたの。

でも今は、完成した後の余韻を味わうのに十分な時間が経過していると思う。このアルバムをリリースすることで、私の心の中に新しい可能性を想像するための余裕が生まれたの。あらゆることが起こりうる、新しい章が始まるような気分よ。

ーアルバム制作はいつ頃から着手されていたのでしょうか?

2020年、私の手帳はかなりのツアースケジュールで埋まっていたの。FKA Twigsのアルバム『Magdalene』に合わせて、たくさんのフェスティバルの出演が予定されていたわ。でも、パンデミックの深刻な状況で、すべてがキャンセルされた。1年分のスケジュールをすべて消さなければならなかったのは悲しかったし、久しぶりに無職になるのが恐ろしかった。

それぐらいの時期から、アルバムを書くことを考え始めたと思うわ。だから、楽曲はほとんど自宅で書いて、イギリスの制限が解除され、家を出ることができるようになったとき、私はスタジオに行ってアルバムのレコーディングを完成させたの。

ーアルバムに収録されている楽曲のサウンドはシンプルで、音の隙間を大事にしているように感じました。極限まで音をそぎ落とすことによって、聴き手の想像力を投影しやすいと思いました。サウンド作りで意識していることはありますか?

それはとても嬉しいお言葉ね。そう、私もアルバムの音楽を作っているときにそういう風に考えていた。このアルバムでは、音楽という形態が、感情に沿うものであってほしいと思っているの。だからプロダクションに関しては、要素を追加することに頼らずに、インパクトや興味深さを演出することを意識していたわ。

ー歌詞も同様に、聴き手にゆだねるような余白が感じられました。作詞をする上で、特に意識したことは何ですか?

歌詞を書くときは、なるべく控え目にするようにしてる。プロダクションやアレンジで語れることがたくさんあるから、必ずしも言葉で綴る必要はないと思うの。すべての要素は、ストーリーを伝えるための言語になる。また、私の場合、歌を実際に歌ったときに、全ての要素がまとまっていくの。紙面だけでなく、声に出したときにも、信じられるものだと感じられる歌詞にする必要があると思う。

ーなるほど。多くを語らない音とメッセージが共鳴しているからこそ、想像を掻き立てられます。アルバム・タイトルはあなたの両親が、中国人としてのつながりを保つためにつけた名前“Siew Yian”の一部でもありますが、タイトルを決めたのはいつ頃ですか?

タイトルは、アルバム制作の途中段階で思いついたわ。アルバム全曲のデモ音源ができあがって、それを一気に聴き直しときに、「ああ……このアルバムはこのことについてなんだ」って、気づいた瞬間があったの。それが、このアルバムの名前が『YIAN』になると確信したときだった。

ーアルバムの中で、個人的に特に思い入れのある楽曲はありますか?

個人的には「An Ocean」ね。私が書いた最後の作品だから。

中国舞踊は、祖先の伝統をより深く理解する方法

ー中国舞踊を学んでいるそうですが、それはあなたにどんな影響を与えましたか?

私は自分の家族が中国のどの地域から移住してきたのか、マレーシアに移住したときにどんな生活をしていたのか知らないの。だから、中国舞踊を学ぶことは、自分が祖先の伝統をより深く理解する方法であり、自分の身体が家族の出身地とつながっていることを実感できる方法でもあった。

私に踊りを教えてくれたリー・イーユンは私のメンターになり、彼女から中国の哲学、精神性、地理、古代史、医学など、多くのことを学んだし、彼女は私のことを中国名の 「Siew Yian」と呼んでくれて、それは本当に意味深いことだと感じてる。

ー「Echo」のミュージック・ビデオの中では、ご自身が踊るだけでなく、振付も手がけられたそうですね。

このミュージック・ビデオは、映画監督のジェイド・アン・ジャックマン監督と一緒に作ったの。私たちは長い間一緒に仕事をしたいと思っていたから、このプロジェクトはタッグを組むのにぴったりだった。ジェイドは素晴らしいアクション監督で、私の友人であるシャンテル・フーも、動きの演出と振付で協力してくれた。

シャンテルと私は2ヶ月間、ストーリーを伝えるための形や振付を作り上げる準備をしたわ。セットのデザインはジョンキル・ローレンスで、その日は夏で一番暑い日だったにもかかわらず、撮影現場に雪を降らせてくれたの! 

ー舞い降る白い雪の中で、扇子を持って踊っているのが印象的でした。今作のビジュアルアイデンティティは、いろんなクリエイターの人たちと一緒に制作されているそうですが、アルバムのアートワークは、どのようなイメージで作られたものなのでしょうか?

アルバムのアートワークは、以前『Antidotes』でコラボレーションしたことのある親友のヌー・スアン・フアと一緒に撮影したわ。私たちは、ユニークで時代を超越したものを作りたかったから、ポップカルチャーのファッションイメージを超えるものを作ることが重要だと思って、歴史的なものを多く参照するために、展覧会や美術館に足を運び、いろんな本を読み漁った。

セットデザイナーのリディア・チャンには、アルバムジャケットに使われる燕の羽の制作と、『YIAN』という旅路を通して私の周りで変化していく、紙のセット(美術背景)のデザインを依頼してる。撮影の前に何ヶ月も話しあったり、リサーチと準備したのよ。

新しい部分を発見するきっかけを与えてくれた

──『YIAN』は個人の経験から始まった物語が、普遍的な価値を持つ作品へと昇華されているように感じました。このアルバムの制作は、自分自身をどのように成長させたと思いますか?


このアルバムは、私が成長するためのフレームワークになってくれたと思う。〈4AD〉のようなレーベルでデビューアルバムを制作して、リリースすることは、私にとってすごく大きな意味があったからこそ、この機会を有意義なものにしたいと思ったの。制作過程で、自分自身に質問を投げかけることは、自分の新しい部分を発見する時間ときっかけを与えてくれたわ。

──( 創作活動以外に)自分自身と向き合えることや、気持ちが豊かになることはどんなことですか?


私は、自分を批判することなく受け入れてくれる親しい友人が何人かいることに本当に感謝しているの。彼らの愛情と、彼らの人生に私を受け入れるだけのスペースがなかったら、今の私はなかったと思うから。この気持ちが相互的なものであるといいんだけど。

──素敵ですね。関係を育んでいくことは、人生の豊かさに繋がるのではないかと思います最後に、自分の人生のタスクはなんだと思いますか?

思慮深く、探究心を持って生き、他人にも自分にも思いやりを持つこと。

RELEASE INFOMATION

『YIAN』

Lucinda Chua
2023年3月24日リリース
4AD

【TRACKLIST】
01.Golden
02.Meditations On A Place
03.I Promise
04.You
05.An Ocean
06.Autumn Leaves Don’t Come
07.Echo
08.Do You Know You Know
09.Grief Piece
10.Something Other Than Years

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