他ジャンルとの融合で進化するレゲエ。新たな可能性を示すベテラン・Hibikillaの挑戦|early Reflection

Interview

文: 石角友香  写:遥南 碧  編:Miku Jimbo 

ポニーキャニオンとDIGLE MAGAZINEが新世代アーティストを発掘・サポートするプロジェクト『early Reflection』。2023年11月度はHibikillaが登場。

ジャパニーズレゲエと聞くと、Jポップシーンでのヒット曲を思い浮かべるリスナーも多いと思うが、レゲエの中でもダンスホール・シーンのアーティストや音楽性はすぐ思い浮かぶか?というと難しいんじゃないだろうか。だが百聞は一見(一聴)に如かず。今回、インタビューに答えてくれたHibikilla(ヒビキラー)は90年代半ばにディージェイ(※註:DeeJay。ラップやMCを行う人を指す)、トラックメーカーとしてのキャリアをスタートし、ユーモアも社会性も大いに含んだ作品をリリースしている。

2006年にはポニーキャニオンよりメジャーデビューアルバム『No Problem』をリリース、2011年にはレーベル〈I-Note Records〉からリリースしたアルバム『FREEDOM_BLUES』が『ミュージック・マガジン』誌年間ベストアルバムの日本レゲエ部門1位に選出。本作に収録されている東日本大震災を受けての「最悪ノ事態」は彼の代表曲でもある。その後、2020年頃まで表立った活動がなかった中、今回12年ぶりとなるアルバム『KillerTune』をドロップ。そこにはダンスホール・シーンにとどまらない世界的なトレンドも落とし込んだ楽曲が居並んでいたのだ。

そもそもHibikillaとは?長い沈黙を破って自身のアルバムを制作した経緯は?率直な疑問を投げかけてみた。

ミクスチャーからレゲエへ。衝撃を受けた90年代の音楽シーン

ー90年代の洋楽も邦楽もすごく面白かった頃にキャリアをスタートしていらっしゃいますが、最初に受けた音楽的な衝撃は何だったんですか?

思春期の頃というか、13〜14歳のときの音楽ってすごく衝撃的だと思うんですけれども、その頃に面白いなと思ったのが、Aerosmith(エアロスミス)、Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)、Green Day(グリーン・デイ)とかのロックですね。ちょうどその頃<ウッドストック’94>っていうイベントがあって。興行的にはコケたんですけれども、そこでヒップポップのアクトだったりとか、特にArrested Development(アレステッド・ディベロップメント)はレゲエの要素なんかも取り入れてたんで、そういうところに触れてからブラックミュージックの面白さにハマったのかなと思います。

ちょうどその頃に北海道のFM NORTH WAVEが開局して、1〜2年はDJのおしゃべりも入れずにひたすら音楽を流し続けていて。逆にそれが面白くて、ラジオのおかげで音楽漬けの思春期を過ごしてっていうところですかね。その中でも徐々にレゲエというジャンルにハマっていった感じです。

ーなぜ特にレゲエだったんですか?

当時Garnett Silk(ガーネット・シルク)っていうアーティストがジャマイカですごく人気がありました。自分も「Hello Africa」って曲なんかがすごく優しくていい歌だなあ、なんて思ってたんですよね。そうしたら、1995年2月号の『レゲエマガジン』で「追悼ガーネット・シルク」という記事が出てまして、1994年12月に銃撃がきっかけで彼が亡くなってたことを知るんです(※註:火事により逝去。発砲が火災の原因と言われているが、真相は不明)。あまりにも日本と違うというか、そういった環境から出てくる音楽の力強さだったりバイブスにすごく喰らってしまったところがあるのかなと思います。

ージャパニーズレゲエに関してはどうでしたか?

僕はジャパニーズレゲエも当時のダンスホールレゲエから入っているので、そういった意味では三木道三さん(現・DOZAN11)とかPAPA Bさんに最初に喰らったかなと思いますね。ジャマイカの人たちがやってるスタイルを日本語でもできるんだっていうところですごく衝撃を受けました。

ーそして北海道から大学進学で上京し、その頃に音楽を始められたんですよね。最初はどういう始まり方だったんですか?

最初は池袋のマダム・カラスとかBEDというクラブでイベントに行ったりやったりしていましたね。そういった中で、KEN-UやサウンドクルーのRACY BULLETとかと一緒にイベントをやって、今も売れてる人で言うとHAN-KUN湘南乃風)、RUDEBWOY FACEなどをゲストで呼んだりしてました。

ーそこではプロになろうとしていた訳ではなく?

そうですね。特にプロを目指すとかではなかったです。2000年ぐらいにCISCO RECORDSってレコード屋さんがあったんですけど、たまたま在学中に出した「100烈拳」っていう曲がそこの7インチ・シングルチャートで1位になっちゃって。それがまたサウンドクラッシュ(※註:DJ/MCバトルのように、アーティスト同士が曲を掛けあい競うジャマイカ発祥のレゲエ・カルチャー)でアンセムというか、流行の曲になりまして、それもあって一躍有名になったという感じですかね。

勢いがあるナイジェリア。近年のシーンの変化

ーその当時はレゲエシーンもヒップホップシーンも「一緒に上がって行こう」という空気だったのでは?

確かにヒップホップもレゲエも、今ほどジャンルの境目は感じなかったと思います。ミックステープ文化っていうのがあったんで、テープの貸し借りとかそういったところで「この曲いいね」って。今だとプレイリストがその役割なのかなと思うんですけど、そのへんも面白かったですね。レゲエで言えばその頃、Mighty Crownが海外のサウンドクラッシュで勝ったとか、そういうのもいち早くカセットテープとして入ってきて、それを貸し借りしてました。

ヒップホップのアーティストで言うと、最初期に出会ったのはKENSHINさんとかTHE SEXORCISTをやってるB.D.さんだったかなと思いますね。2004年ぐらいにZeebraさんに会いフックアップしてもらって、2006年に曲(「Culture 365 feat.Zeebra」)を出すことになります。

ーHibikillaさんがこのシーンに20年ほど身を置いている中で感じる変化の筆頭といえばなんですか。

機材の変化とか、メディアの変化によって音楽の楽しみ方が変わってきてるっていうのはすごく感じていて。自分でも今回アルバムというフォーマット自体がすごくチャレンジングだなと思いました。実際このフォーマットで出したところでどうなんだ?みたいなところももちろんあるし、正直YouTubeでオモシロ動画でも作ったほうがバズるよなとか思うわけですよ。そういう中でも音楽で「いや、でもこれがいいんだよ」というものを見せたいなと思って作ったところはあります。

ー曲づくりの手法やリファレンスみたいなものはどう変わってきましたか?

まず、近年のレゲエというかジャマイカ音楽って、レゲエの中でもダンスホール(というジャンル)があるんですけども、ダンスホールの中でもサブジャンルが細分化してる状況があります。なおかつ今まではジャマイカが完全に中心地だったんですけれども、最近ナイジェリアとか、アフリカの音楽が非常に元気がある。ナイジェリアって人口が2億人いて平均年齢が18歳なんですよ。

ー未来しかないですね(笑)。

そうなんですよ。勢いがすごいのも頷けるなっていう話で。そこでナイジェリアで最近流行ってる音楽としてアフロビーツとかアフロフュージョン、アフロスウィングと呼ばれるスタイルがあって、代表的なアーティストだとBurna Boy(バーナ・ボーイ)とかWizkid(ウィズキッド)とかになるんですけれども、そのへんですね。ダンスホールのリズムにR&Bのコード進行、メロディラインが入ってくるっていう、これがアフリカやUKを中心に今すごく来てるんです。で、このスタイルを今回自分の作品の中にも結構取り入れました。なので、食わず嫌いしないで聴いてみてほしいです。

ー逆に言うと、Hibikillaさんがビートやトラックなど新しいものを発見しなければアルバムを作れなかったということもあったんですか?

そう思いますね。あとは2曲目の「Risin’ to the Top feat.Laya」にはちょっとハウスやアマピアノっぽい4つ打ちが入ってます。やっぱり過去にもMajor Lazer(メジャー・レイザー)とかがいたわけで、レゲエのスタイルといってもミクスチャーの面白さがあり、その一方でレゲエファンにはサンプリングを多用して聴き馴染みをよくしたりとか、そのあたりを意識したなというのはあります。

アルバム制作に影響を与えた転居

ー前作『FREEDM_BLUES』以降、プライベートなライフスタイルも変化されたと思うんですけど、そういう影響もありましたか?

もちろんです。個人的にはやはり結婚、パートナーの出産、そして自分も育児に参加して、そこから離婚っていうのも経るんですけれども。だから激変でして。こういった中で子供も小学校入学ぐらいになってようやく手も離れてきたので、もう一度音楽に本腰入れるかみたいなタイミングで、埼玉県の入間市に引っ越したんですね。そこにstudion decibelという素晴らしいスタジオがたまたまあって、それがアルバムにはすごく役に立ったなと思っています。ONODUBさんという「Neuromancer」と「そして人生が始まる」、「JUMP」のトラックメーカーでもあるんですけれども、この方にかなりの楽曲を今回手伝っていただいて完成したものになりますね。

ーONODUBさんはstudion decibelというスタジオのオーナーなんですか?

まさに一軒家をスタジオに改造しているような方で、今回そこで大半の曲を録ったっていう感じですね。たまたまそこが自分の家の近所であったと。入間のジョンソンタウンって場所なんですけど、昔は米軍基地があって今は航空自衛隊入間基地に変わってるんですけど、米軍の人が使っていた住宅の跡地が結構ありまして。そこが沖縄の北谷や港川周辺みたいな、ちょっとおしゃれな街になってるんですよね。そこに東京時代のアパレルだったり音楽関係の友人が意外と集まっていて。みんな40代ぐらいなんですけど、そういった郊外にすごくいいムーブメントがあるなって。まあコロナもあったので自分もリモートワークになりましたし、東京の真ん中にいなくてもイケてるものを発信できるんやなあっていうのはここ数年で感じたことではありますね。

ーなるほど。アルバムとしてリリースするきっかけになった曲というと?

やはり「そして人生が始まる」という最後の曲かなと思いますね。この曲は《いつか行こうよ二人で それじゃいつかは来ないぜ》から始まるんですけど、ロシアによるウクライナ侵攻や最近で言うとイスラエルによるガザ侵攻とか非常に不安定な社会情勢が世界的にありますし、コロナもあって、ライブなんかも2年間ぐらいまともにできなかったわけで。「じゃあいつ行くの?」ってなったときに、“今”行かないとひょっとしてもう一生行けないかもしれないわけで。そういったものを歌詞に込めた感じになるかな。なおかつ、これがまたONODUBさん的にもガイダンスを感じたらしくて。というのも、この曲を録る前、ONODUBさんが数ヶ月入院していて遺書まで書いてたらしいんですよ。

ーそんなに重かったんですか。

重かったんですよ。でも手術が成功しまして、復帰して一発目の作品がこれだったっていうところで、そこらへんもバイブスが一致して意気に感じてくれたところはあったみたいですね。

ー社会状況もそうなんですけど、今年は多くの先人が亡くなったりもして。

そうですね。おっしゃる通りで。急ぐこともないと思うんですが、例えばリリースパーティをやるってなったときも、まあ「みんな来いよ」みたいな、「もうやんないかもよ?」っていうところかな(笑)。

ー「そして人生が始まる」と1曲目の「Neuromancer」のコード進行が同じであることの意味も大きいのかなと思いました。

そうですね。「Neuromancer」は再生という言葉からイメージを膨らませた曲になっていて、例えば亡くなったアーティストの曲を再生するんであれば、そのアーティストの魂を再生してる、そのようなダブルミーニングになるんじゃないかなと思って。で、《リバースして再生》という部分も、巻き戻すを意味するリバース(Reverse)のカタカナ同音異義語は“Rebirth”。つまり生き返るっていうことかみたいな、そういうダブルミーニングがいっぱい入ってるんですね。

それが最後の12曲目まで行ったときに同じコード進行で1曲目にリバースしていくよっていうループ構造になっている。そこはこのプレイリスト時代にアルバムを出す意味として、「こういう楽しみ方どうですか?」って提案した部分ですね。

ーNFT楽曲としてのリリースも話題の「WAGMI」ですが、このリズムトラックはフリー音源なんですか?

フリーというか、タイプビートをリース契約したことになるんですが、これもコロナというのが結構大きくて。クラブイベントで直接会ってから作るみたいなことが2年ぐらいできなくなっちゃったんで、逆にインターネットで頑張ろうみたいな気持ちの変化が自分にあって、それでこういったタイプビートを使った曲作りとかを頑張りました。

この曲でちょっと面白かったのが、このビートは最初“BeatStars”というサイトで「Burna Boy Typebeat」っていうタイトルで出てたんですよ。で、後にバーナ・ボーイ本人もこのビートで歌ってて(※Byron Messia「Taliban III feat Burna boy , Chris Brown」)、つながっちゃったなっていう感じでしたね(笑)。まあ昔からレゲエの場合、スレンテンリディム(リズムパターン)を使ったもので100曲以上あるって言われてたりするし、一つのオケを使い回すとか、現場でDJ/セレクターの人たちがオケをつないでいく“ジョグリン“っていうものもあるんですけど、それがまた楽しくて。ぜひバーナ・ボーイのあとにHibikillaをかけてくださいっていう感じですね(笑)。

ーこの『KillerTune』をリリースしたことでHibikillaさんの人生の第何章、どういう扉が開きそうですか。

もう経て経て第三章ぐらいの感じなんですが、なんだろうな? 今年はジャパニーズレゲエ的にはMighty Crownが活動休止っていうニュースもあったりしましたけど、ここからどうやって盛り上げていけるかを考えながらやっていきたいなと思います。自分としてはライブをいっぱいやっていきたいなと思いますね。

ー今おっしゃっていただいたことと重複するかもしれませんが、今後挑戦してみたいことといえば?

やっぱりコラボレーションになるのかなと思います。今作は自分の中に持ってるレゲエ・ダンスホール感が100%入ったアルバムになったので、ど真ん中としての自信があるんですね。だから逆に、他のジャンルの方といろいろやっていきたいですね。収録曲の「JUMP」や「Yohaku&Sentence」はもうリミックスを作り始めているし、12月にはリリースする予定です。さらにリミックスコンテストを開催していて、これも12月ぐらいには結果が出ると思うので、ここから先はコラボして行きたいですね。なので本当に「お気軽にお声がけください」って感じです(笑)。

INFORMATION

NEW ALBUM『KillerTune』

11月1日(水)リリース
〈I-Note Records〉

収録曲
1.Neuromancer
2.Risin’ to the Top feat. Laya
3.JUMP
4.WAGMI
5.Yohaku & Sentence feat. KOTA
6.Wha Gwaan Midnight feat. Tach-B (Zukie’s Album Remix)
7.Interlude
8.LUNA (Space Opera Remix)
9.Slo Down (CHILLOUT Remix)
10.Progress
11.この世界 feat. DABO
12.そして人生が始まる

【配信リンク】https://lnk.to/hibikilla_killertune

<Hibikilla Killer Tune Release Party>

2023年11月18日(土)at 東京・乃木坂Club CACTUS
OPEN23:00/START24:00
¥2,000+1Drink(¥500)

early Reflection

early Reflectionは、ポニーキャニオンが提供するPR型配信サービス。全世界に楽曲を配信するとともに、ストリーミングサービスのプレイリストへのサブミットや、ラジオ局への音源送付、WEBメディアへのニュースリリースなどのプロモーションもサポート。また、希望するアーティストには著作権の登録や管理も行います。
マンスリーピックアップに選出されたアーティストには、DIGLE MAGAZINEでの動画インタビューなど独自のプロモーションも実施しています。

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Hibikilla(ヒビキラー)

北海道江別市出身のレゲエ/ダンスホール・アーティスト。2004年にリリースした「百烈拳」がサウンドクラッシュ・シーンのアンセムとなり、7インチ・シングルチャート1位を獲得。2006年から2009年にかけて『No Problem』『濃厚民族』『LIFE』『BE FREE』の4枚のアルバムをコンスタントにリリース。2011年には日本語レベルミュージックの新たな代表作と評された「最悪ノ事態」収録の4thアルバム『FREEDOM_BLUES』を発表し、『ミュージック・マガジン』誌ベストアルバム賞を受賞するなどY2Kレゲエシーンを牽引した。

その後、育児のため活動休止期間を経て、2020年に「この世界 feat. Dabo」でiTunes Storeレゲエチャート1位獲得。さらに「Wha Gwaan Midnight feat. Tach-B and Zukie」でWeb3音楽プラットフォーム『Audius』で年間再生数レゲエ部門世界一に輝くなど、ブランクをものともせずシーンに帰還した。
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