文: Hiroyoshi Tomite 写:Kodai Kobayashi
かねてから耳の早いインディーファンの間で注目を集めていたPAELLASの周辺状況が慌ただしい。PAELLASは昨年夏に『出れんの!?サマソニ』に出演し、今年に入り、全国版のe.p.『Remember』を発売したかと思えば、今月からピーチ・ジョン(!)のCMトラックにが選ばれた。
親しみやすい兄ちゃん風情でもない。スノビッシュでモードな服装で自分たちの美学を守り、淡々と“自然と体が揺れる音楽”を追い求めてきたPAELLASであるにも関わらずだ。
昨年5月、ライヴハウスで海外のWild Nothingなどと同期するような「Hold on Tight」という楽曲と、ナードな色気たっぷりなパフォーマンスを見て以降、PAELLASの虜になっていた僕は、昨年12月に原宿VACANTでのライヴ企画『3』にも登場してもらった。そしてバンドのモードが変わりつつあることを感じ、インタビューの依頼をした。
インタビューの最中「今年がダメならもうダメ」とまで言い切るボーカルのMattonと、never young beachのギタリストとしても活躍する、PAELLASの中心的トラックメイカーのANANの2人に、過渡期の中にいるPAELLASについて、自分たちが求める音楽像と、バンドの中で見えつつある変化の兆しについて、前後編に分けて話を聞いてみた。
ーそもそもMattonは、どういう音楽に影響を受けて育ったの?
Matton:
小学生の頃は周りにGLAYとかL’arc~en~Cielとか全盛で聴いてるやつおったけど、俺は全然ピンとこなくて。だけど浜崎あゆみを聴いて、めっちゃいい!ってなって、その頃から歌うことが好きになった。今でも『LOVEppears』とかは好きなくらいやからな。それからベタにB’z聴いて、エアロスミス聴いてとか(笑)中学になると、THE YELLOW MONKEYとかBlankey Jet Cityを聴きはじめて、ロック然としたバンドが好きになった。
大阪の大学が一緒のビッシーがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きっていうのもあったから、それに近いガレージロックで、メロディーは海外志向のバンドをやっていた。でも俺らはそこまでそういうキャラやなかったというか、うまくハマらんくて・・・。大阪では、黒猫チェルシーとか女王蜂とか、ガレージ感が強いシーンみたいなものもあったんだけど、だんだん向いていないってことに気づいて今のPAELLASの形になったのかな。
ー具体的に向いていないと思った理由って?
Matton:
俺らにそういう元々生粋の不良のメンタリティーと圧倒的なカリスマ性みたいなもんってなかったのかもしれんなと思って。そういう音楽はあらかじめそういうのが似合う人たちがやるものだから。今冷静に分析すると俺がブランキー好きやったのはそれが天然記念物みたいやからって思ったのもある。そういう迷いを感じている時期に、The xxとGirlsを2枚同時にジャケ買いしたのが、今のスタイルに近づく大きなきっかけで。
ーPAELLASを組む前に一個挫折ではないけれど、バンドの解散があって、自分がどんな音楽なら表現できるのかを模索していたんだね。
Matton:
そう。The xxのジャケの裏の帯見たらMassive Attack以来のブリストル、イギリスの音楽の新しい形だみたいに書いてあって。Girlsはそこまではまらんかったんやけど、The xxはめちゃくちゃ好きになって。そこからThe Drumsとかも聴くようになった。ただ、その頃ビッシーはサイケダブみたいな方を掘り出して、最悪やってん、その頃(笑)ーそれぞれが違うものを模索する時期だったんだ。
Matton:
俺は音数少ない引き算の美学にそこで目覚めて。元々俺ら器用に技術があるバンドでもないから、「こういうシンプルな形やったらいけるかもしれない」って思ったのが大きかったかもしれない。他に周囲を見てもこういう音の出し方をしているバンドはまだなかったから、「勝負できるとしたら、ここや」みたいな気持ちがあった。そこからSoundcloudに曲をあげ出して、海外やネットレーベルのAno(t)rksから反応があったり、脱退したギターの代わりに今は懐かしきmixiのバンド募集でANANに出会ってギターとして入ってもらうみたいな形になっていったんよ。
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