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文: 黒田隆太朗 写:Yosuke Demukai
2020年にしか作りえなかった作品である。志磨遼平が『バイエル』を作る上でイメージしていたことに、誰でも簡単に歌うことができる音楽、歌唱や童謡があったという。つまり、彼の意識の中には「こども」たちがいた、と言えるだろう。では、こどもとは何か。それは未来である。未来を生きる人々、これからを担う人々。「今」この時を克明に記すことで、彼はこの先の世代(あるいは社会)へと語りかける。ドレスコーズの新作『バイエル』には、そうした側面があるように思う。
さて、まずは斬新なリリースとなった本作の背景を振り返ろう。4月7日に突然発表された『バイエル』は、「練習曲」とだけ記されたピアノのインストアルバムであった。それから歌とタイトルが付け加えられたバージョンへと変化し、その4週間後にはバンドアレンジが施された作品へとアップデート。初めのリリースから2ヶ月を経た6月16日に、最終版となるアレンジで録音された『バイエル』がCD・ストリーミングで発表された。「学びと成長」をテーマにした本作は、作品自体が学び、成長するというプロセスを辿った作品であり、作り手とリスナーがその過程を共有する音楽である。
前作『ジャズ』を作り終えた時には、既に“バイエル(教則本)”というキーワードが浮かんでいたという。滅びの後に芽生える教育、機能性を突き詰めた音楽、そして今歌い残すことに値するテーマについて…『バイエル』にまつわるいくつかのトピックを、志磨遼平に語ってもらった。
ー「学びと成長」というテーマは、いつ頃着想したものでしょうか。
コロナ渦よりも前、2019年だった思います。
ー『ジャズ』を作り終えた頃には、既にこのテーマが思い浮かんでいたということですか?
そうです。まず、『ジャズ』があまり縁起の良いテーマではなかったんですよね。もしも人類が滅びるような事があったら、最後にはこういう音楽が残るのかもしれない、というようなことを思い浮かべて作った作品だったから。
ー“人類最後の音楽”がコンセプトでしたね。
ただ、そうした縁起の悪いテーマを掲げたのは、何も僕の妄想に限った話ではなくて。世の中にそうした穏やかではないムードがあったというか…普段生活をしていて、誰もが思っていたような事だったと思うんです。で、そうした作品を作り終えた後、もし滅びの先があるとしたら…と考えたわけですね。
ーそこで浮かんだのが「学びと成長」であると。
生き残った我々が真っ先に必要とするもの。焼け野原の上に立って、復興のためにまず僕らが手を付けるべきものは、教育なんじゃないかと思ったんですよね。そう思った時、学びだとか教育だとか、あるいは音楽の始まりだとか、そういうイメージを包括できるキーワードとして「バイエル」が浮かんできました。
ーつまり、テーマとしては『ジャズ』から連なる考えの中で発想したものであると。ただ、あのアルバムを出した翌年、2020年に社会は一変しました。
そうですね。
ーそれでも同じテーマで創作を試みたのは何故ですか?
やっぱり創作というものは、ある程度現実をブーストして行うところがあるというか、“このままいくと、こんな社会になってしまうよ”っていうように、現実に対して想像を膨らませて挑むわけなんですよね。でも、この1年で現実が想像の範疇を超えてしまった。未曾有って言葉はこういう時に使うんだと思いましたし、誰も味わった事がないパンデミックが起こって、本当に映画みたいな現実になってしまった。そうした際に、何を作るべきなのか凄く難しくなったんです。
ー多くの作家が、そうだったのではないかと思います。
なので『バイエル』というタイトルだけが、ずっと頭の片隅に置いてあるまま生活をしていたんですけど。その中で腑に落ちるところがあったと言いますか、教育や成長というテーマは無効になっていない、むしろこの状況で効力をさらに発揮するだろうと感じまして。そこで時間もあることだし、形にしてみようと思いました。
ー鍵盤だけで聴かせる『バイエル(Ⅰ.)』はもちろん、完成版ですら静けさを感じる作品だと思います。
気軽にスタジオに入ってメンバーと演奏することができない状況で作っていくと、いつものようにドラムやベース、ギターやピアノを入れようという気にはならなかったです。音楽って、なんとなく視覚的なイメージを伴うものじゃないですか。たとえば賑やかな音像を聴いたら、スタジオに集まって息ぴったりに演奏している場を想像すると思うんですけど、そういう臨場感がフィクションに思えてしまったというか…熱狂とか興奮なんてものは、夢のまた夢になってしまった。それまで当たり前のようについていた音楽の付加価値が、全くリアルではなくなってしまったんですよね。
ーなるほど。
だとしたら僕は、その時代の音楽を録音したいと思いました。この時期、音楽というものはこんな風にあったんだと記録したい、そういう気持ちが制作の途中から付随してきたんです。それでアンサンブルではない、ある意味での室内楽と言いますか、ひとりで嗜む事しか出来ない状況で生まれたアルバムを目指すようになって。そうしたらどんどん閉鎖的な音楽になっていきました。
ーつまり、人の気配がしない音楽。
そうそう、その頃の街もそうでしたよね。たとえば「はなれている」も、1回バンドで録ったものがあったんですけど、キーもテンポも落として録り直してるんですよ。やっぱり曲が盛り上がってしまうと、“なんか違うなあ…”と思うことが今回は多かったから。それで『バイエル』には、ベースを入れられなかったんですよ。
ー完成版でですら、ベースが入っている曲は2曲しかありませんね。
ベースが入ると、曲が途端に活き活きするんです(笑)。でも、僕らの状況はそんなに盛り上がっていないというか、熱を持たずに暮らしていたから。活き活きした要素を排していくと言いますか、凄く静かに過ごしているような質感を出せたらと思っていました。
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